約 3,135,377 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4904.html
三 章 Illustration どこここ 翌朝、俺はわざと遅れて自転車で会社に行った。昨日長門に謝ろうとずっと電話していたのだが電源を切っているか電波が届かないが延々続いて結局そのままになってしまった。 ハルヒは俺が出社しないうちに二人を連れて中河に会いに行った。俺は知っていてわざと遅刻したのだが、今度は先方の取締役会と親会社の役員に会うらしい。さっさと進めてしまいたい気持ちは分かるんだがな、交渉ごとを急いでやると損するぞ。 ── というわけなので、以下は聞いた話である。 中河テクノロジーの親会社、つまり筆頭株主だが、揃いもそろってでっぷり太ったお偉いさんばかりだった。バブル崩壊を潜り抜けて来たつわもの共で、きっとあくどい事をして稼いできたに違いないと思わせるような連中だった。こういう連中は市場の注目を浴びそうな目新しい技術がお好みらしく、人工知能を使った業務支援プログラム技術というものに惹かれているらしい。 「これまで、人工知能と謳われた技術のうち実用化したものは、限定された環境においてのみ稼動するものばかりでした。実用化のコストもさながら、どんな情報にも応じられる汎用性の高いプログラムロジックは実現が難しいとされてきました」 中河のプレゼンだが、技術的な話を延々述べても右から左に素通りするだけだろうというので、深く突っ込んだ話はしなかったらしい。まあこいつらは金を出すだけだからな。 「ここに新時代の人工知能技術を設計された長門有希さんを紹介します。彼女を取締役最高技術責任者として迎え、海外も含めた事業展開を任せたいと考えています」 会議室に全員の拍手が響いた。ハルヒも椅子から立ち上がって深々と頭を下げている。 突然拍手の波を破ったのは、固いテーブルをドンと叩いた長門の拳だった。経営陣を、それから中河を睨みつけていた。 「……この買収、断る」 「有希ったら、いきなりどうしたのよ」 長門は中河を指差して叫んだ。 「あなたはわたしに近づくために会社を買い取る。わたしは、売り物ではない」 「い、いえ、そんなつもりはまったくありません」 中河は顔を真っ赤にして弁解した。長門は皿のような目で一堂を見回してから、文字通り席を蹴って出て行った。座っていた椅子がクルクルと床に転がった。 「皆さん申し訳ありません、私の言動が誤解を招いたようです」 「とんでもありません、長門が失礼を申しまして、すいませんすいませんっ」 ハルヒが冷や汗をかきかき、平謝りに謝った。 「、ということがありましてね」 「そりゃみんな驚いただろうな」 「ええ。結局会議は中座しまして、鶴屋グループの会長と取引銀行も呼んで金額的な折り合いをつけようということになりました」 「鶴屋さんの親父さんか。俺たちがふだん動かしている金とは桁が違うから、そういうベテランがいたほうがいいかもしれんな」 「それはそうと、ちょっと耳に入れておきたいことがあります」 「なんだ」 「実はこの件が持ち上がってから中河テクノロジーの株が買われています」 「どういうことだ」 「調べてみましたところ、親会社の役員筋からネタのリークがあったようです。どうやらインサイダーの匂いがしますね」 「買収ネタで株価操作しようってのか」 「インサイダー無法地帯の日本ではよくあることですが」 よくあるっつったって違法は違法だろうが。そりゃまあ株価ってのはどんなネタでも上がったり下がったりするもんだから、さして驚きはしないが。 「そして今日、長門さんが交渉の場を蹴ってしまうと買いがぴたっと止まりました」 「ざまあ見ろだな。俺たちをネタにして濡れ手に泡で儲けようなんてやつがいるとは、ハルヒが聞いたらぶち切れるぞ」 「切れているのは長門さんのほうで、もしかしたらすでにご存知なのかもしれません」 いやまあ、長門が怒っているのは俺に原因があるんだが。 「それにしても、長門さんがあのように感情を露にされるのを見るのははじめてです。僕も唖然としてしまいました」 俺はといえば、長門、よくやったという気持ちだった。最初この話があったとき、長門の評価がもっと上がればいいという正直な気持ちも確かにあった。ところが上がったのは中河テクノロジーの株価だったってわけだ。 いやいや、株価なんかはどうでもいいんだがなにか腑に落ちない。ここに来てなにが不満なのかよく考えてみたが、俺たちの作ったSOS団を誰か外部の人間に操られるのが嫌だという、非論理的でマネージメントともビジネスともまったく関係ないところから来る率直な気持ちだった。SOS団を金を生むためのネタにされるのが嫌なのだ。金にあかせて会社を食っちまうアメーバみたいな大手グループなんぞにSOS団を渡してなるものか。中河なんぞに長門を渡してなるものか。これは俺の会社だ。俺の長門だ。 その日、長門はとうとう会社には戻らなかった。自宅の電話にも携帯にも出ない。 「もう、有希ったらいったい何考えてんのかしら」 「SOS団が売りに出されるのが嫌なんじゃないか」 「売るわけじゃないわよ。手漕ぎのボートから豪華客船に乗り換えるだけじゃない」 「俺は長門の気持ちは分かるぜ。金を稼ぐだけが目的の仕事は嫌なんだろう」 「もう、場合によっちゃ取締役から外すからね」 「まあ長門には俺から話すから待ってくれないか」 「いいけど、この交渉がこじれたら有希のせいだからね」 俺は少しだけハルヒをじっと見て、それから言った。 「お前、中河が長門を誘ってたの知ってたか」 「えっ……」 「たぶん長門は、自分が買い取られるように感じたんだろう」 「そんなこと有希はひとことも言わなかったのに」 「言うわけないさ。俺しか知らん」 「で、あんたはなんて言ったの」 「好きにすればいいと答えた」 「あんた、ずっとバカだと思ってたけど、ほんと最低ね」 「自分でもそう思う」 「あのねキョン、この際だから言うけどね。有希がどれだけ気持ちを溜め込んでるか分かってないでしょ」 「俺なりに多少は分かってるつもりなんだが」 「あたしだったらね、好きだと思ったら嫌われても真正面から好きと言うわよ。でも有希は簡単に表に出すタイプじゃないわ」 「お前が長門を観察してたとは意外だな」 「あったりまえじゃないの。団員の精神状態くらい把握してるわよ」 長門の微妙な心の動きを察知できるのは俺だけだと自負していたが、実はなにも分かっちゃいなかったのかもしれない。長門の表情に広がる小さな波紋はちょっとした眉毛の動きとか瞬きのタイミングとか視線の流れとか、あるいは口元の緩みなんかなのだが、それを見ていれば今どう思っているか分かる。でもあいつの心の中にある、見えなくて時間のずっと先にあるものは分かっていなかった。 「今から有希に会って謝ってきなさい」 「俺だけが悪いのかよ」 「当たり前でしょ、有希にとっちゃ中河さんなんてどうでもいいのよ。問題はあんたよ。ちゃんとフォローしなさいよね」 「分かってるさ。二三日したら長門も落ち着くだろうと考えてたんだよ」 ハルヒはイライラと眉毛を吊り上げた。 「あんた、あたしが今までやったことでひとつだけ後悔してることがあるの、知ってる?」 「さあな。自信家のお前が後悔するようなことがあったのか」 ハルヒはまっすぐ俺の目を見据えて言った。 「十一年前に、ジョンスミスの電話番号を聞かなかったことよ!」 俺はどう答えていいのか分からなかった。その件に関しちゃ、別の意味で責任を感じているわけなのだが。 「そのときはどうでもいいことのように感じたけど、あれから気になって毎日のように探したわ。近隣の電話帳で探した。身元調査会社も雇ったわ。市役所で調べてもらおうとしたら断られた」 「まあ、そりゃそうだろう」 「何度もあきらめようと思ったし、いっそ別の誰かと付き合おうかとも考えたわ。見合いをしたのはかなりヤケだったけど」 「そうだろな。あれは見ていて痛々しかった」 「そんなことはどうでもいいのよ。あたしが言ってるのは、一度の出会い、一度のデート、一度のキスがそれからの一生を決めることもあるってことよ」 俺はなにも言えなかった。 「昔の人はいいことを言ったわ、一期一会ってね。あんたは十年も待てるタイプじゃないでしょ?」 このハルヒの一言は、俺にはかなり重くのしかかった。もし俺がハルヒの立場だったら。簡単にあきらめてさっさと別のやつに視線を移していたに違いない。 「分かった……。これから行ってくる」 「ちゃんとバラの花束を持っていくのよ」 分かってるさあ、いちいち。 長門になんて謝ろうかと難しい顔をしつつロッカーから背広を取り出していると、古泉が、二人の間になにがあったかは知らないけどがんばってくださいとニヤつきながら言った。歴史改変のときには散々ハッパをかけたこいつに言われるとはな。 「なあハルヒ、思ったんだが」 「まだいたのあんた、さっさと、」 「お前が打ち合わせに行くたびに中河テクノロジーの株価が動いてるの知ってるか」 「そうなの?」 ハルヒが古泉に向かって首をかしげると黙ってうなずいた。 「買収の目的が一緒に仕事をしたいってのは表向きで、情報やら技術やらを金のネタにされた挙句骨抜きにされるなんてことはよくある話なんだが」 「中河が株価操作してるっていうの!?」 いきなり呼び捨てかよ、さっきまでさん付けだっただろう。 「そうとは言い切れないが、グループの中に俺たちをネタに一儲けしようってやつがいるのは確かだ」 「それくらい、業界じゃふつーのことでしょ」 「会社経営はそういうもんだってのは分かってるさ。だがなハルヒ、お前はSOS団が汚い金にまみれてしまうところを見る覚悟があるか?」 ハルヒは黙った。俺たちには金の質をとやかく言うほどの経験もないし経営判断ができるわけでもない。 「でも、SOS団にないものが中河テクノロジーにはあるのよね」 「中河テクノロジーのリソースじゃなくて、鶴屋さんのリソースを借りるほうがまだ安全だろ」 俺たちは傘下にいながら鶴屋グループのことをほとんど知らない。正式には傘下ではなくて鶴屋さんのポケットマネー的な孫会社ってことになっているのだが、ハルヒはそれもそうねぇという表情をしていた。 あーそうだ、鶴屋さんといえば花を買っていこう。俺は長門のマンションに向かう前に鶴屋さんの店に寄った。 「いよっ、キョンくんじゃないか。今日も疲れた顔してるねっ」 「どうもです鶴屋さん。長門の件はすいませんでした。もしかしたら今回の話は見送りになるかもしれませんが」 俺は腰四十五度の礼をした。 「いやいや、いいっさ。もう買収交渉はうちの親父に任せることにしたから、あたしはノータッチなのさっ。ハルにゃんがやりたいようにやるのがいいさ」 「なんというか、鶴屋さんの親父さんにまでご迷惑をおかけして申し訳ないです」 「わははっ、固い話は抜き抜き。あたしはただの花屋さっ」 世間話に来たんじゃないんだった。 「花束をひとつお願いしたいんですが」 「ほほーう。して、どういうシチュエーションなんだい?」 「実は長門を怒らせてしまいまして」 「あははは。怒った長門っちには萌えそうだね。まあ、男と女にゃそういうこともあるっさね」 「ピンクのバラを入れてもらえますか」 「ようがすっ。ちょい待ち」 予算は一万円くらいにしてもらった。今月はあれこれ出費がかさむ。 「メッセージカードは入れるかい?」 「ええと、ください」 マジックで、ごめんよ長門と書いて刺してもらった。俺にはラテン語なんて書けない。 「まいどありっ。がんばれキョンくん、キミならやれる!」 右肩をガシっと叩かれ、二十四時間元気営業中の鶴屋さんパワーをもらって少しだけ気分が軽くなった。自転車の前カゴにバラの花束をのっけて鼻歌なんか歌ってしまうくらいに意気揚々と長門のマンションへと向かった。 玄関で長門の部屋の番号を押したが、出てこなかった。もしかして眠ってるか、あるいはまだ怒ってて出てこないか。俺は四桁の番号を押して自動ドアを開けて入った。部屋のドアの前でインターホンを押してみるが出てこない。いないのか? 電話をかけてみるが部屋の電話にも携帯にも出なかった。あいつがこの時間にひとりで出かけてるとは思えないんだが、図書館はもう閉まってるし。気になってあちこちかけてみたが誰も行方を知らないようだった。 俺は喜緑さんにかけてみた。 『喜緑です』 「もしもし、キョンです。ご無沙汰してます」 『あら、こんばんわキョンくん』 「長門が昼過ぎくらいからいなくなってしまいまして、もしかして行き先にお心当たりがあるんじゃないかと」 『ちょっと待っててくださいね』 喜緑さんは送話口を手でふさいで、なにか話しているようだった。 『キョンくん、あのね。長門さんここにいるんですけど、今は会いたくないらしいんです』 な、なんですと。長門に避けられてるなんて俺も終わりだ。 「ちょっとだけ話したいんですが、電話に出してもらえませんか」 『えっと……ごめんなさい、いやだって言ってますわ』 これは困った。何号室かは知らないが喜緑さんってたぶんこのマンションだよな。新聞の勧誘のフリをして一軒ずつノックして確かめてみるか。 「ドアの前に花束を置いておくので水に挿してくれ、と伝えてもらえます?」 なんだか古泉のときと同じ展開だな。バケツの水を被せられないだけマシか。 『分かりました』それからヒソヒソ声で、『あのねキョンくん、落ち着くまで少し時間を置いたほうがいいと思いますわ』 それもそうだな。とりあえず居場所は分かったんで、俺はよろしくと頼んで電話を切った。喜緑さんならなんとか取り成してくれるかもしれない、なんて甘いことを考えつつ。 マンションを出て、俺は建物を見上げた。すべての部屋の明かりが灯っている中で、長門の部屋の窓だけが暗かった。 このまま長門が別れるなんて言い出したらどうしよう。中河と仲睦まじく会社経営にいそしむようになったら、なんかの拍子に中河と付き合うようになったりしたら。中河も悪いやつじゃない、カリスマ的で誰もが安心して頼れるタイプだ。俺でも男惚れする。俺は蚊帳の外、取締役が決まっているハルヒとも会えず、古泉とひっそり昼飯を食うだけの毎日。たぶんだが俺はやる気をなくして会社をやめちまうだろうな。 ついこないだ高校一年の俺を見てあまりのだらしなさに腹が立って殴ったが、根本的に中身が変わってない気がする。こんな俺に誰か喝を入れてくれないものか。そんな他力本願なことを考えてるからダメなんだということは重々承知しているんだが。 そのまま家に帰る気にはなれなくて、俺はなんとなく公園に足が向いた。街灯の下に黄色いベンチがぼんやりと浮かんでいる。俺は自転車を止め、ため息をつきながら腰を下ろした。 「はあ……」 別に目的があって来たわけじゃなくて、考え事をするときなぜかここに来るのだが、思えばこのベンチにもいろんな思い出があるよな。ここに来ればパブロフ的に安心するというか、時間と空間がからむようなトラブルには必ずといっていいほどここにやって来たものだ。今でも街灯の下でぽつりと座っている長門がいるような気がするし、振り返れば茂みの中に朝比奈さんがいるような気さえする。いつでも俺を待ってくれていた。 公園の入り口のほうから人影が歩いてきた。 「キョンくん、こんばんわ」 「あれ、喜緑さんですか。さっきはどうも」 「お元気そうね」 「元気といいますか、まあ、精神的にはかなり参ってますが。長門のことでいろいろお世話かけてすいません」 「いいんですよ。男性と女性にはいろいろありますから」 この人には色恋沙汰というものがありそうでなさそうで、日ごろがおっとりしているだけに恋愛したらハリケーン並みの嵐になるんだろうななんて失敬なことを考えている俺だが、にっこりと微笑む喜緑さんを見ていると少しだけ気持ちが癒された。 「では、行きましょう」 「行きましょうって、いったいどこへです?」 「キョンくんに会いたがっている人がいるんです」 こんな唐突にいったい誰だろう。俺が不思議がっていると「キョンくんの古い知り合いです」と言った。昔テレビでやってた初恋の女の子とご対面みたいな感じがしなくもないですが、今の俺はそんなやつに会っても愛想笑いのひとつもできんと思いますよ。 喜緑さんは俺の隣に座って手を握り、 「ちょっと揺れますから、目を閉じていてくださいね」 手が触れたときちょっとドキリとしたが俺は言われるままに目を閉じ、深呼吸をした。たぶん時間移動かなんかだろう。と思った途端やっぱり重力が上下反転する感覚に襲われ、閉じているはずの目蓋の裏で明滅する幻影がぐるぐると浮かんでは消えた。 「もういいですよ」 二人はベンチに座ったままだった。 「どこですかここ」 「駅前公園のベンチです」 時間移動したんじゃなかったのかと周りを見回したが、夜空も公園の木々も同じままで俺の知る風景となんら変わりはなかった。もしかして茂みの中に朝比奈さんが潜んでいるのかと目を凝らして待ったが、ウサギの気配すらない。 「その相手ってのはどこにいるんです?」 「線路沿いの道を下っていくといます」 「そっちって長門のマンションじゃないですか」 「わたしはここで待っていますね」 「喜緑さんも一緒じゃないんですか?」 「ええ、キョンくんだけで会ってきてください」 見も知らない人にひとりで会いに行くのかと、俺が不安げな表情を見せると喜緑さんはにっこり笑って大丈夫と言った。 喜緑さんは俺の耳元でそっと囁いた。 「ちょっと驚くようなことがあるかもしれません」 言われるままに俺は公園から出て道なりに進んだ。また妙なことになりそうな予感がして、心細げに後ろを振り返りつつ道を歩いた。もうすぐ通いなれた長門の住むマンションだが。俺の古い知り合いで最近は会ってなくて、俺に一人で会えってことは朝倉なんかじゃなさそうだし谷口やら国木田なんかに呼び出される筋合いはまったくないし、いったい誰だろう。俺は同級生の顔をいくつか思い浮かべた。まさか中河が俺に用があるとかでこんな呼び出し方をしたのか、なわけはないよな。この先にはハルヒが地上絵を描いた中学校もあるが、もしかしたらそこかもしれない。 右手に、さっき出てきたばかりの長門のマンションが見えてきた。敷地の入り口に人影が立っていて、じっとこっちを見ていた。近づくとよく見知っている女の子がゾウリ履きにワンピースという姿で門柱に隠れるようにしていた。 「……キョン?」 やっぱり長門だったが、俺を二人称代名詞でなくてあだ名で呼んでくれるなんて珍しいじゃないか。昨日から今日の間にずいぶん変わっちまったな。 「そ、そうだが」 「もっと、顔をよく見せて」 長門は目を細めて俺を凝視し、メガネを外してハンカチでレンズを磨いた。よく見ると伊達メガネじゃなくてレンズに度が入っている。 俺の知ってる長門じゃなかった。あだ名であろうと偽名だろうと、俺のことを名前で呼んだりはしない。この長門は頬を染めて俺に駆け寄るなり両手を握り締め、嬉しくて同時に悲しいという俺でも滅多にしないような複雑な表情をしていた。もしかして俺の歴史改変のせいで長門がこんなに表情豊かに変わっちまったのかとまで疑いもした。潤んでくる目をメガネを外して何度も拭い、ここに俺が存在するのが信じられないという様子で何度も目をパチパチと瞬きした。 「……ぜんぜん、変わってない」 「長門、だよな?」 「そう。わたしが分からないの?」 なぜか俺にはそれが分かった。人間の、長門だった。 長門はまるで俺に逃げられるのが不安とでもいうようにずっと手を離さず、お茶を入れるから上がって上がってと言いながら部屋のドアまで手を引いた。長門に引っ張られて部屋に入るなんて前代未聞だぞ。 脱いだ靴も揃えぬまま、ともかくテーブルの前にペタン座りをさせられ、長門がキッチンへ駆け込んでいって急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ音をじっと聞いていた。 「ええと、聞きたいんだが、ここはどういう世界なんだ?」 「どういう世界、とは?」 「ここが過去なのか未来なのか、お前なら分かるんじゃないかと思ったんだが」 長門はまた妙なことを言うやつだという目で俺を見つめ、 「あなたは、前にも同じようなことを言った。わたしが宇宙人だとか」 抑揚がないところは似ているが、この長門は表情筋の動きが活発で、しゃべりも流暢でたまに身振りすら入れる。それにいつもは少し間を置いて無言からはじまる会話がない。 見たところマンションの様子も部屋の様子もあまり変わりはないし、俺の知っている長門の部屋と違和感はない。若干カーテンやら家具のデザインやら、インテリアの趣味が華やかな気もするが。にしても、こいつがヒューマノイドインターフェイスでなくて人間なのはなぜだろう。喜緑さんは俺になにをさせたかったんだろう。こいつはいったい誰なんだ、情報統合思念体はとうとう長門を人間の女の子にしちまったのか。 「それっていつのことだっけ」 「高校の頃、はじめて文芸部部室に来たとき」 文芸部部室にはじめて訪れたのは、ハルヒが部活をはじめるからというんで首根っこをひっつかまれた仔猫のようにして連れてこられたときのはずだが、俺が改変した歴史だと長門に勧められて入部したときだったか。どっちにしても長門とそんな会話したっけ。宇宙人の話はむしろ長門がしてくれたんじゃ……。 「涼宮さんはあなたが部室に連れてきた。他校の生徒だったので驚いた」 「ハルヒがよその学校の生徒?」 俺はしばらく考え込んだ。ふと、あるシーンが目に浮かんだ。はにかみながら白い紙片を差し出す長門。門の前で体操着に着替えるハルヒ。学ランを着た古泉。朝比奈さんのグーパンチ。つまりこいつは長門が自らと世界を作り変えちまったときの長門か!?俺はまたあの日に戻ってきたのか!? 「それにしちゃ、いろんな意味で俺の記憶と違う気がするんだが」独り言がポロリと漏れた。 「あなたの記憶?」 「あ、いやなんでもないんだ。最初に会ったときのことを詳しく聞かせてくれ」 「あなたと会ったのは、本当はもっと前。中央図書館がはじめてで戸惑っていたわたしに貸し出しカードを作ってくれた。あのときのあなたはとても親切で印象に残っていた」 「そのへんは覚えてなくてな。学校でもあれがお前だとは気がつかなかったんだ」 それは長門が作った俺との馴れ初めストーリーだな。あんときは過去を捏造されたんだとばかりにイライラしたが、あれは長門流のロマンスだったのかもしれない。 「そう。それから二度目は冬、あなたが突然部室に現れた。わたしが宇宙人だと言い張って戸惑った」 あんときの俺はそりゃもう必死だったからな。今思い出しても赤面するぜ。 「それからわたしが誘って、ここでおでんを食べた。朝倉さんが作ってきてくれた」 おかしい、この長門はなぜすべてを遠い過去形で語っているんだろう。凝視していると長門は顔を赤くしてうつむいた。それでもじっと見つめていると、俺の長門とは微妙に違うところに気がついた。 「長門、ちょっと立ってくれないか」 「なに?」 長門はテーブルに手を着いてスクと立ち上がった。薄手のワンピースの裾が揺れる。 「身長は今いくつだ」 「ずいぶん測っていないけど、一六〇くらい。どうして?」 あのときとは背丈が違うな。スラリとしていてどっちかというとスレンダーっていうか。 「今、何歳なんだ?」 「二十四。なぜ?」 その答えに衝撃が走った。あの日から八年も経っている。長門によって改変された世界は十二月十八日の未明に俺たちの手によって上書きされ、なにもなかったことになったんじゃなかったのか。古泉の説明を信じるなら、時間軸が交差して無限記号のような二つの十二月十八日があり、未来からの干渉で事態を修復したんじゃなかったのか。この長門はあれから八回のクリスマスを数え、北高を卒業して成人を迎えて今ここにいる。未来の本人によって修正プログラムの短針銃を打たれたにもかかわらず、こうして俺の前でメガネをかけたままでいる。じゃあ朝倉はまだ健在で相変わらずおでんを作ってきたりするのか、ハルヒや古泉はどうしているのか。この世界がどうなっているのか、俺になにをさせたいのか喜緑さんの意図が分からない。 長門は続けた。 「その次の日にあなたは三人を連れてきた。ひとりは北高の二年生、あとの二人は光陽園学院の生徒だった。そしてあなたはパソコンの電源を入れて忽然と消えた。わたしたち四人を残したまま」 俺は言葉を失った。あの後がどうなったかなんて考えもしなかった。世界は元通りになり、全員がなにごともなかったと同じように暮らしているとばかり思っていた。 突然消えたりして残された人がいったいどんな気持ちになるか、心配どころか悲嘆に明け暮れそれが身内なら飯も食えない日々だろう。自分がそんな仕打ちを周りにしていたなんて今になってショックを受けている。結果がどうなるか、Enterキーを押す前に長門のメッセージの意味をもっと深く考えるべきだった。それを受け入れるだけの覚悟が自分にはあるのかちゃんと考えるべきだった。 俺はあの日に文芸部部室に置き去りにした長門を見た。せめて旅に出るくらいの一言はあってもよかっただろうに。 「その後はどうなったんだ?」 「覚えてない?」 「すまん、記憶が曖昧でな」 「次の日の朝、あなたはカナダへ転校したと聞いた。それ以降まったく音沙汰もなかった」 「そうだったのか……」 「……そして八年経った今、突然現れた」 つまり、こっちの世界から消失したのは俺で、朝倉の代わりに俺自身が行っちまったのか。別れの挨拶もなしに消えた俺を知って谷口の唖然とした顔が目に浮かぶようだ。 静かな部屋の中で沈黙が二人を包んだ。俺は詫びることすらできなかった。この長門は白くなるまで唇をかみ締め、その後に訪れた俺のいない空白の時間を思い返しているようだった。いくら自分の世界に戻るためとはいえ、俺はこの長門を別れも告げずに置き去りにしたのだ。意図的ではなかったにしろ長門を八年も独りにしてしまった。信じてくれなくても事情くらいは知っておいてもらうべきだった。 俺は自分がしでかしたことよりも八年という長い時間が経っていることのほうがショックで呆然としていた。 「長門、すまなかった」 ようやくそれだけが口からこぼれ出た。 「なぜ消えたのかどうして今になって戻ってきたのか、なにがあったのか教えてほしい。それに、わたしが驚いているのに、あなたは再会を喜んですらいないのはなぜ」 この長門は少し怒っている風でもある。その様子を見てなんとなく安心した。なんというか、人間には不条理なことに遭うとそれに対して怒ったり嘆いたり感情を露にすることで少しは落ち着くという、はけ口みたいなものがある。俺の長門みたいに処理不可能なエラーが延々積もったりはしない。それで気が晴れるなら俺を恨んでくれてもいいさ。 「朝倉の知り合いで喜緑さんって人がいてな、その人が俺をここによこしたんだ」 「……」 長門は疑いの目を向けていた。これだけじゃ説明になっていないよな。いっそのことすべてを話すことができたなら、いや、話しても信じてくれるかどうか自信がない。 長門は俺の手の上に自分の手を載せた。その温かさに動かされるように、俺は口を開いた。ここまで心配かけたんだ、空白の時間を償えるならすべてを明かしてもかまわないだろう。 「長門、お前は異世界を信じるか」 「異世界?」 「うまく説明できるかどうか分からんが、これから話すことは人間のお前には信じられんことかもしれん ──」 俺はいつかの長門を思い出してひとり笑いした。長門流に言うなら、情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない、ってところだな。心配するな長門、ちゃんと伝わったから。 ── そう、まるで夢のような話だ。 俺は、俺自身の世界で最初にハルヒに会ったときからの過去をかいつまんで聞かせた。長門はじっと黙って聞いていた。ときどきうなずいたりはして、俺の長門が世界を改変してしまった日の話にかかると、空想世界の話を聞いているような表情は少しずつ消えていった。 話の途中でふと思い出してポケットから財布を出した。今も持ち歩いている、存在しないはずの西宮中央図書館のカード。 「これは長門が、つまり向こうのお前が作ってくれたんだ。あのときみたいにな」 長門は見慣れない図書カードを手にして不思議そうにいじっていた。それから一枚の写真。ホームレスのおっさんたちに握り締められて、もうよれよれになって色あせたハルヒと長門のツーショット写真だ。 「これがもう一人の、つまり俺が親しくしてる長門だ。こっちはハルヒで、世界をひっくり返すんじゃないかと超恐れられている存在だ」 「そう。涼宮さんとはときどき会う」 「こっちのハルヒは、あいつらはその後どうしてるんだ?」 「あなたが消えてからかなり怒っていた。いきなりやってきて宇宙人や未来人の話をした挙句、忽然と消えたりするのは卑怯だと」 「あいつらしいな。まさかSOS団の活動を続けたりしてないだろうな」 「続けていた。市内不思議パトロールであなたを捜索していた」 ま、またそんな不毛なことを。やみくもにジョンスミスを探してるなんて俺たちのハルヒと同じじゃないか。まあ唯一の救いはといえば、こっちのハルヒのイライラで閉鎖空間が発生したり世界が滅亡の危機にさらされたりしないことか。 「向こうのハルヒは猫にモノしゃべらせたり目からレーザーを出したりする映画作ったもんだが」 「映画はわたしたちも作った。特殊効果はなかったが、社会問題を扱ったドラマを作った」 「ハルヒが社会派の映画か、俺も見たかったな。四人とも学校が違うのに撮影大変だったろ」 「サークルで作った。四人は同じ大学に入って活動をした」 なるほどね。三年遅れだが結局はみんな同じところに集まったんだな。 思えば、うらやましい環境かもしれない。ハルヒは世界を作り変えたりせず、長門はエラーを起こさず、朝比奈さんは上司にパシリを命じられたりせず、古泉は神人と戦ったりせず、シャミセンは日本語をしゃべったりしない。この世界には宇宙人的魔法も時間移動も、世界を救うための超能力も、そしてなにより世界を覆す力もない。当然、俺というハルヒのストッパー役がいないのでそれはそれでバランスは取れているのかもしれないが。 でもまあ、もしあの日と同じ十二月十八日がもう一度あったとしても、俺は元の世界を選ぶだろう。ハルヒのセリフじゃないが、だってそのほうが面白いからな。 「あのとき俺がEnterキーを押したのは、向こうの世界が好きだったからなんだ」 「そう。二つのうちどちらかを選べと言われたら、たぶんわたしも自分の世界を選ぶ」 和らいだ表情で人間の長門はうなずいた。 「あれからどうなったんだ?長門は今はなにをしてるんだ?」 「大学を出た後、図書館で司書をしている」 俺は中央図書館のカウンターで静かに座っている長門を想像した。俺の長門は実験着を着て論文を書いたり、パソコンのキーボードを光の速さで叩いたりしているが、図書館の司書は本が好きなこいつにいちばん似合う職業かもしれない。 「あいつらはなにをしてんだ?」 「涼宮さんは大学院に進んだ。量子物理専攻だったと思う。朝比奈さんは教職課程を取って小学校の先生。古泉くんは、確か警察庁幹部候補」 古泉がおまわりかよ!趣味の推理好きが高じて仕事になりましたって感じがしないか。 「涼宮さんと古泉くんは去年結婚した」 ま、まじっすか。やっぱりその展開になったのか。尻に敷かれてんだろうなぁ、古泉。北高に入学して来なかったところを見るとこっちのハルヒにとっちゃジョンスミスはあんまり重要な位置づけじゃなかったようだし、それはそれでいいとするか。 「長門は好きな人はいないのか?」 「いる。婚約している」 なにげなく聞いた質問だったのだが、その答えに落雷が落ちたような衝撃が走ってすべての髪の毛と体毛が逆立った。そ、そうだよな、二十四歳だもんな。この美貌じゃ男どもが放っておくはずがないよな。 長門はキャビネットの中から写真立てを持ってきた。野郎と並んで長門が写っている。極上なスマイルを浮かべながら長門の肩に手をやった野郎の姿が非常に嫉妬を掻き立てる。えらく体格がいいな。なんか、知ってるやつのような気がするんだが。 「こ、これ、中河じゃないか!!」 「そう。なぜ知ってるの」 「中学校のときのクラスメイトでな」 っていうか、俺のいたの世界じゃ中河が長門に遭遇するのは高校一年の冬休みで、長門が世界を改変する出来事の後のことなんだが、時系列がおかしくないか。 「彼とは大学で一緒だった」 なるほど、世間は狭いっていうがまさにそれだな。そういや中河が長門を見初めたのは高校一年の五月ごろのことで、あれがそのまま引き継がれてこっちの世界にも繋がってるんだとしたらありうる話かもしれん。 っていうか、あんな小型のブルトーザーみたいなゴツイ男のどこがよかったん、……。 「……」 「なに?」 「いや、なんでもない」 こいつにはこいつの人生があって、幸せになる権利がある。いや、幸せにならないといけない。二人を祝福してしかるべきことのはずが、なぜだか悲しい。 「それがお前の望んだ幸せならいいんだが」 「そう。わたしは今、幸せ」 「そうか、ならよかった」 何度も言うが、こいつにはこいつの人生がある。ハルヒのときだって、朝比奈さんにだって、俺は勝手に嫉妬したり干渉したりしていた。長門のときだって、中河が今にも燃え出しそうな情熱的なラブレターを俺に託したときも正直いい気はしなかった。できることならほかの男をそばに寄せたくはなかった。 ── あなたは、彼女には彼女の人生があるということを知るべき。 長門の声が耳にこだまする。それを聞いたのはいつだったろうか。 喜緑さんが俺をここへよこした理由が、なんとなく分かった気がする。ハルヒに釘を刺されたセリフじゃないが、人生なんてたったひとつのタイミングで簡単に変わってしまう。干渉したり嫉妬できるうちはまだいいが、一度流れが別のほうへ変わってしまえば、ダダをこねようが地団太を踏もうがどうすることもできない。人生もそれぞれ、行く道もそれぞれ、重なり合った二人の時間線がふとしたことで永久に離れてしまうこともあるんだ。 「よかったらこの写真もらえないか」 「え……これでいいの?」 「ああ。幸せそうなお前が写っているこの写真が欲しい」 「そう。それでよければあげる」 喜緑さんのことを思い出してふと時計を見ると九時回っていた。だいぶ話し込んでしまった。 「すまんがそろそろ帰るわ。人を待たせてるんだった」 「そう、」 長門がそう言い終えないうちに電話がかかってきた。長門はうんとかええとか返事をしていたが、やがて、 「彼が今から寄ると言ってる」 「中河か、これからか」 「そう。あなたにも会ってほしい」 どうしよう。俺はその、なんというかいくらガタイのいい中河でもあいつが怖いなんてことはないが、向こうのあいつは俺にひどい仕打ちをしてくれてるわけで、面と向かって堂々と話をするなんてことはできそうにないぞ。 「すまん、やっぱ落ち着いて話をするのは無理だ。いくら異世界でもお前はやっぱり俺の長門だし、その婚約者なんかと堂々と話ができるほど度胸の座った男じゃないし」 「そう」 「小心者だからな」 そういうと長門は目を細めてクスクスと笑ってみせた。ああ、この長門はちゃんと笑うんだな。 立ち上がって腰を伸ばそうとすると、足元でみゃあという鳴き声がした。鼻のまわりと前足だけが黒い、真っ白な猫がズボンの裾にまとわりついていた。俺にシャミセンのにおいがついているのかもしれない。 「猫飼ってるのか」 「そう。あなたに言われてから飼っている」 ここはペット禁止だったはずなのだがまあバレなければいいか。俺はその猫を抱き上げた。妙に見覚えのあるその表情と模様に、もしかしたらこいつは時空に対して曖昧な長門んちの猫なんじゃないかと、その名前を呼んでみた。 「おい、ミミ」 猫の姿は消えるはずもなく、みゃあと一声だけ鳴いた。 「なぜこの子の名前を知ってるの」 「いや、なんだかそんな気がしたんだ。俺のいた世界でお前がちょうど逆の模様をした猫を飼ってる」 「そう……」 これはたぶん偶然なんかじゃなくて、なにかの因果ってやつだろう。ミミ、長門のことをよろしく頼むぜ。 靴を履いて玄関を出るとビーチサンダルをペタペタと鳴らして長門がついてきた。エレベータの前に立ち止まり下向きボタンを押して待った。エレベータのドアが開いて中に入り、ここでいいよと手を振ったのだが、長門はそのままドアの内側に入り込み俺から離れようとしなかった。ドアが閉まり、そこが密室になると長門はじっと俺の目を見つめた。 「あなたが……好きだった。今でも」 湧き上がる気持ちを抑えきれないように俺の背中に腕を回し、肩に顔を埋めた。俺は心拍数が少しずつ上昇するのを感じた。なにやら名状しがたいモヤモヤが胃の辺りで生まれて止まない。こいつを連れて遠くに逃げたいという衝動となぜだか泣き出したくなるような衝動が、水面に垂らした絵の具のようにぐるぐると渦巻いて心の中に溶け込んでいく。俺も長門の小さな背中に腕を回してギュッと抱きしめた。このまま永久にエレベータが止まらず下降し続ければいい、そう願った。そして俺の長門がこれを見たらどう思うだろうかという説明しがたい後ろめたさに充たされた。 「ああ、知ってた。許してくれ……」 長門は俺の胸に顔を埋め、じっと鼓動を聞いていた。 「ごめんなさい。ずっと言えなかった。やっと言えた」 あんまり俺を責めないでくれ。もう少しで泣きそうだから。 「もし誘ったらだが、俺といっしょに来るか?」 言ってはならないことを言ってしまった気がする。婚約までした長門が相手を裏切るなんてことはありえないのは分かっていた。いくら感傷的になっているとはいえ俺は裏切りをそそのかすようなことを言う自分を恥じた。だが長門は一瞬の躊躇も考えることもなく、 「あの人はずっとわたしを待っていてくれた。だから、彼に報いたい」 「そうか。安心した」 中河は一途なやつだ。十年経ったら迎えに来るとまで誓った男だ。最近じゃ誘うほうも誘われるほうも恋愛が極端に簡単になっちまって、一人の女のために人生を投げうてるやつはそうそういない。俺なんかよりよっぽど根性ある男だと思う。この長門だって、ここで一時の感情に流されるより、心に決めたやつと一緒になるほうが幸せになれるさ。 「変なこと聞いてすまんな、今のは忘れてくれ」 「いい。ときどき遊びに来て。年に一度でもいい」 それができるのかどうかは、俺には分からない。この世界と向こうの世界がどうやって繋がっているのかも俺には分からないのだ。 「約束はできんが、もし来れたら向こうの長門を連れてくるよ」 この長門はにっこりと笑ってうなずいた。 エレベータのドアが開いた。さっきまで密室を満たしていた重たい空気は少しずつ薄まってゆき、昼間の名残の匂いのする微風にまじって流れた。 玄関の自動ドアを出てマンションの門柱のところで長門はぴたりと止まった。俺は数歩歩いて手を振り、また少し歩いては手を振った。もうひとりの長門、会えてよかった。さよならだ。 振り返ると、マンションの明かりを背に受けた長門の小さな影がぽつりと見えた。それに歩み寄る別の影がひとつ、そして二つの影が寄り添い互いに抱き合ってひとつになった。長門がこっちを指差してなにかを話していた。 ここで中河と話をする勇気はさらさらない俺だが、一声だけ叫んだ。 「こら中河!長門を不幸にしたらタダじゃおかんぞ!」 俺はそのまま走った。走って逃げた。ニヤニヤ笑いを浮かべながら。 「おかえりなさい」 駅前公園に入ると喜緑さんが笑っていた。さっきのが聞こえていたようだ。 「喜緑さん、長らくお待たせしました」 「いかがでしたか」 「ええ。あいつも元気そうで安心しました」 「それはよかったですわ」 「あの長門、ヒューマノイドインターフェイスじゃないですよね」 「ええ」 「あれは人間の長門でしょう」 「あの子は長門さんがそうなりたくて生まれた長門さんです。八年前の十二月十八日に」 「ここがどういう世界のなのかなんとなくは分かったんですが、古泉の話だとあの日は確か未来からの干渉で上書きしたんじゃないですか?ええと、ベルヌーイ曲線でしたっけ」 「いいえ、上書きはされていないんです。ただわたしたちの時間軸から切り離されただけ」 「俺たちの時間とは別に存在してたんですか」 「そうです。十二月十八日の未明を境に、情報統合思念体によって切り離されたものなんです。この時間軸はわたしたちのいる世界とは二重化された世界。一枚の紙の裏側みたいなものですね」 なんだか難しい話になってきたが、つまり並行世界みたいなものか。長門も似たようなことを言ってたような覚えがあるんだが、思い出せない。 「でも、長門のエラーから生まれたこの世界をなぜ残したんです?」 「……」 喜緑さんはそこで少し考え込む様子を見せた。 「たとえばですが、キョンくんが別の世界を作ったとして、それが失敗だったからといって消してしまうでしょうか」 「難しいですね……」 前にも同じジレンマを感じた覚えがあるが、あれはいつのどんな事情だったか。ハルヒならそれをやりかねんが、俺自身がそれをやるかどうかと言えばたぶん無理だろう。どんな世界でもそれが最初から存在するべきでなかったなんてことは俺には言えない。少なくとも、そこに長門がいる限りは。 「時間線と世界線はつねに同じ点で繋がっているんです。時間のほうだけを都合よく修正することはできないんです」 「でもまさか、俺のいない世界が八年も存在し続けていたなんてショックです。俺自身が突然消えてしまったわけですから」 「ええ。わたしたちも放置していたわけではなくて、キョンくんの周辺はできるかぎり調整を施しました。この時空は、今は情報統合思念体の管理下にあります」 「ということは俺の家族なんかも、俺がいなくてもいつも通り生活してるわけですか」 「はい。長門さんが二重化したために複雑な修正を施してしまいましたが、今のところちゃんと機能しているようです」 単に時間を元に戻すだけだと思っていた、俺たち人間の考えが浅かったってことだな。そういうことならまあ、こっちの長門とハルヒと、それから朝比奈さんをよろしく頼みます。古泉?あいつは俺のコンプレックスの塊みたいなやつなんでどうでもいいですが。 「こちらでのみなさんはごく平均的な人生を過ごしている、と観測されています。ただひとり、あなた以外は」 そこで喜緑さんは俺に伺うような目線になった。 「これで……よかったでしょうか?」 「よかった、とは?」 「わたしたちは人の幸福という概念について研究して来ましたが、まだ不明な点が多いんです。それに関与する資格はないのかもしれません」 「それは人間自身にも分からないことですよ、きっと」 「キョンくん不在の穴埋めが本当にできたのかどうか分からなくて……」 銀河を支配する集団にしちゃえらく控えめなこの質問は、穏健派の喜緑さんだから腰が低いのか、あるいは、すべての派閥を代表する率直な気持ちなのか。 思い起こせば、あの日に起こったのは長門のエラーなんかじゃなかったのかもしれない。長門は俺に二つの人生を用意してくれた。毎日が全力疾走で手段を選ばず願望を叶えるハルヒに特殊な力を持った三人がそのフォローに追われる世界と、かたや、ハルヒの引き起こすドタバタに魔法や時間移動や超能力を使わなくても生きていける世界。 ハルヒだって長門だって、特別な力がなくても幸せになれるんだ。願望を実現する能力があってもなくても毎日がドタバタなのには変わりない。こっちの長門に会ってみてそれが分かった。どっちの世界の住人もそれなりに幸せを享受していて、それなりに苦労していて、ああだこうだ言いつつもやっぱりこっちがよかったとそれぞれが思うに違いない。隣の芝は青い、青すぎてそこに住んでみたくなるなんてことはなくて、いくら雑草がはびこっていても庭は庭、自分ちの敷地が住みやすいもんだ。 「喜緑さん、ボスに伝えてください、ありがとう、と」 喜緑さんのやや不安げな表情は消え、にっこりと微笑んだ。 「では、帰りましょうか」 「またいつか、来れますよね」 喜緑さんはただ微笑むだけで肯定も否定もしなかった。 喜緑さんが右手を上げて詠唱し、二人の周囲にぼんやりとオレンジ色の球体が生まれた。俺たちを包む球は最初ゆっくりと浮上し、地面を離れてからぐんぐんと急上昇した。町の明かりが次第に小さくなってゆき暗い宇宙が目の前に迫ってきた。だんだんと気が遠くなる。今までのことがすべて意識の彼方に飛んでいく。 気がつくと俺はベンチで眠っていた。公園だった。見上げると星が出ていた。 「喜緑さん?」 見回してみるが気配はない。先に帰っちまったのかそれとも最初からいなかったのか、もしかしたらあれはすべて夢だったんじゃないか。確かに眠ってはいたが夢にしちゃリアルすぎるだろ。 俺はかくも長き長編映画を見た後のような余韻に包まれ、しばらく頭がぼーっとしていた。気温はかなり下がっているはずだがなぜか顔だけは火照っている。メガネをかけた長門を思う後ろ髪を惹かれるような気持ちと自分の現実に帰ってきた安堵とがないまぜになって、浮かんだ花びらのように俺の心の水面をくるくると踊っていた。 やがて俺の長門のことを思い出し、エレベータの中での心臓が締め付けられるようなあのモヤモヤは少しずつ消えていった。 俺はポケットを探って携帯を取り出した。ベンチの背もたれに体を預けたまま星空を見上げ、呼び出し音を数えた。向こうの中河がどうあれ、こっちの中河には話をつけておかなければならん。俺のモチベーションが下がらないうちにな。 『なんだ、キョンか。どうした』 「おい中河、お前に言っておくことがあるっ」 必要以上にハァハァと鼻息が荒い気がするんだが、まあ普段からこういうことに慣れていないからだな。 『尋常じゃないな、なにがあったんだ』 「愛してるんだ。誰にも渡さん」 『は?大丈夫か、酔ってんのかキョン』 「俺は八年をかけてやっと本当の愛に目覚めたんだ。横槍を入れるやつは断じて許さん」 『気持ちは嬉しいんだがキョン、すまんが俺にはそういう趣味は、』 気のせいか前にも同じシーンがあったような。 「俺の女に手を出すなつってんだよ。お前がいくら体育会系アメフト出身でも喧嘩の相手くらいなってやるぞ」 体力勝負からいってタックルは無理だがコイントスなら勝てる自信はあるぞ。 『な……』 中河はしばし沈黙したまま、どう答えていいのか分からないようだった。 『もしかして長門さんのことか』 「あったりまえだろうが」 『その……なんだ。キョン、すまん。俺が思い違いしてたようだ。お前はてっきり涼宮さんと付き合ってるのかと思ってたんだ』 ま、またそれか。ったくどいつもこいつも俺とハルヒをくっつけないと気がすまんのか。 「ハルヒは古泉と付き合ってるんだよ」 『知らなかった、あのハンサムなニヤけ男とか』 ニヤけ男は合っているが、お前に言われるとなぜか腹が立つな。 「いくら長門が好きでも先に誰かに打診するもんだろうが。たとえば俺にだな」 『そうだな。いや、八年前に道化師を演じた大失態があるから分かってくれてるだろうって思ってたんだが』 まあ、気持ちは分からんでもない。あの一件以来、中河といや俺たちの間ではピエロだったからな。 『どうだ、これから飲みにいかないか。お詫びに俺のおごりだ、長門さんも呼べばいい』 俺は腕時計を見たがすでに十時を回っていた。あ、ええっと、どうだろう。 「今ちょっと長門とトラブっててな、今日は無理だな」 『なにかあったのか』 「お前のせいで長門を怒らせちまったんだよ。俺と中河の好きなほうを選んでいいなんてことを言っちまったのさ」 『俺もかっこ悪いが、お前も相変わらずだな』 携帯のスピーカーから中河の笑い声が漏れてきた。つられて俺も他人事のように笑った。 『まあ、俺が言うのもなんだが、長門さんを大事にしろ。ああいう女性は滅多にいない』 当たり前だろ。長門みたいな女は世界中、いやこの宇宙のどこを探しても見つかるまい。この銀河を統括するやつらの中でもユニークな存在なんだぞ。 「ああ、それからな中河」 『なんだ』 「今回の買収の件なんだが、ほんとは長門が欲しかったんだろ」 中河は少し黙り、電話の向こうではたぶん顔を赤くしているんだと思うが、 『図星だ。長門さんと二人で仲むずまじく会社経営なんて甘い夢を見てた』 「なんとまあ、お前もよく夢を見る男だな」 中河は、それが俺の生きるためのエネルギーさ、と言って笑った。 「ここんとこ会社の株価が上がってるのはお前の仕込みなのか」 『ああ、あれか。俺自身は関与してないがグループ内の金融機関でやってる買収の資金繰りみたいなもんでな、一部は別会社を経由してSOS団に流れるはずだった。厳密に言えばまあインサイダーなんだが』 自社の株価を操作して資金調達する仕組みになってたのか、知らなかった。 「買収はきれいごとばかりじゃないってことか」 『ああ。だが長門さんの協力が得られないのなら今回の話はあきらめようと思う』 「まあそう急ぐな。無理に傘下にしなくてもビジネスパートナーとして付き合っていけばいいじゃないか」 『長門さんが許してくれればいいんだが』 「あいつは根に持つやつじゃないさ。ひとこと詫びを入れとけばいいだろ」 『そうか。お前にも悪いことしたよ』 中河は悪いやつじゃない。女のことになるとちょっと空回りするってだけだ。空回りしすぎてひとりクラッシックバレエを踊ってしまうことも多々ありだが、世の中に男と女がこれだけいりゃ、こういうこともあるさ。 『なあキョン』 「なんだ」 『あのときの長門さんの怒った顔』 「それがどうした」 『正直、惚れた……』 な、中河てめえ!この期に及んでホの字になってんじゃねえ。 四章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1200.html
……… 眠れない…。 これで何度目になるだろう、静寂のなか薄暗い部屋で、彼が眠っていた布団に包まれ、目を閉じる……。 しかし、瞼の裏には記憶が映しだされ、彼の顔が画面いっぱいに広がる。 なぜだろう?気が付くと、彼のことばっかり考えている。 これはエラーなのだろうか? なぜこんなにも私の睡眠機能を妨害されるのだろう。 そんなことを考えていると、いつのまにか眠ってしまったようだ。 「ふふふ。長門さん、好きなんでしょ、彼のこと」 好き…?たぶん違うと思う……。 「そう、まあそのうち分かるわよ。自分の気持ちに…」 朝。太陽の光がカーテンの無い窓からさしこんできて目を覚ます。 今日は、不思議探索の日ということで軽く朝食をとり、家を出る。 着替える必要はない、いつもの制服で十分だ。 でも、私服で行ったら彼が喜ぶかな……。 いけない、またエラーだ。 集合時間15分前、いつもの駅前に到着する。 彼はまだのようだ。 「おはよう有希!」 「お、おはようございまぁ~す」 「おはようございます、長門さん」 三人ともあいさつをしてきた…。 私は軽く会釈をする。 しばらく待っていると、彼がやってきた。 「遅い!罰き…」 「はいはい、分かったから」 彼はもうあきらめがついているようだ。 そうして、いつもの喫茶店に入る。 私は、注文した飲み物を飲みながら、彼といっしょになればいいなと毎回考えていた。 そして、涼宮ハルヒのクジを引く、私は無印だ。 彼は…、私と同じ無印だった。うれしい。 他の人は、古泉一樹が印入り、涼宮ハルヒが印入り、そして朝比奈みくるが無印だった。 (あら、残念ね。二人きりじゃなくて…クスクス) 別に残念とは思っていない。 こうして、彼と朝比奈みくると私で不思議を探すことになった……。 とはいっても、探す気なんかないことはみんな同じだろう。 「いい!デートじゃないのよ!鼻の下のばしてんじゃないわよ!!」 そう言って彼女は歩いていった。古泉一樹がやけにニヤニヤしているのはなぜだろう? 「朝比奈さんはどこか行きたいところありますか?」 彼は彼女にきく。 「いえ、特には…」 「そうですか、長門はどうだ?」 彼がたずねてくる。図書館と言いたいが、今は朝比奈みくるもいるのでやめておく。 「……ない」 私は彼の顔を見ずにこたえた。 「…そうか」 彼は少し困った様子で、 「じゃあそこらへんをブラブラしてますか」 「はい」 そんなやりとりが交わされて、私は彼の後ろについて歩いている。 彼は、朝比奈みくると会話を楽しんでいる……羨ましい。 私も情報伝達能力がもっと高ければ―――。そんなことを考えていると、いきなり話がふられた。 「長門も鶴屋さんの小説おもしろかったよな?」 「…………」 私はこたえることもできず、ただうなずくことしかできなかった。 (ふふっ、手でもつないでみれば?) そんなことはしない。 (恥ずかしがることないのよ。早くしないと涼宮ハルヒにとられちゃうわよ) …………。 そんなことをしているうちに、集合する時間がやってきた。 駅前につくと、もう涼宮ハルヒと古泉一樹が待っていた。 「ふん!じゃあクジ引きするわよ」 彼女はイライラしているようだ。 みんながクジを引く、私は印入りだ。 彼は…印入り。今日は運がいいらしい、彼は私を見ると微笑んでくれた…。頬が熱くなるのを感じる。 あとの三人は無印だった。 みんなと別れる。行くところは決まっているも同然で、彼がたずねてきたときは、 「図書館」 と即答した。 私は彼の後ろについて歩いている。 会話はしないけれど、二人で歩いているだけで幸せな感じだった。 (たまには、図書館じゃなくて映画館とかもつれてってもらえば?) …………。 (せっかくの二人きりになれたのよ。それにこれはデートと変わらないわよ) …………。 (涼宮ハルヒのことなんて気にしないで、ホテルでも行っちゃえばいいのに) うるさい。 お互い無言のまま、今では行き慣れた図書館についた。 人影も少なく、冷房のきいた閑静な室内に足を踏み入れる。 私はこの空間がとても好きだった。 私は、本を手にとりその場で立ち読みをする。その間、彼はだいたいは眠っている。 (ねえ、彼の近くで読んでみたら?肩によりそったりして) ………///。 本を読んでいるとすぐに時間がすぎる…。 彼が、私に帰ろうと言ってきた。私は彼の肩から頭をどかし、図書カードで本を借りた。 私は図書館で借りた一冊の本をもって彼と並んで歩く。なんだか楽しい。 いきなり彼がこっちを向く。どうしたのだろう?と思っていたら、無意識に手を握っていたようだ。 (やればできるじゃない、ふふふふっ) 「長門どうしたんだ?」 別に…。 「おい、ハルヒに見つかったらまたうるさく言われるぞ」 …いい。 「…やれやれ」 私は不安になり、彼にたずねる。 「…嫌?」 「そっ、そんなことないぞ、うん。どっちかっていうとうれしい」 「…そう」 私は彼の言葉を聞いて、安堵した。 できることなら彼とずっと一緒に……。 そんなことを思いながら私は、握る力を少しだけ強くしていた…。
https://w.atwiki.jp/xghshuthj/pages/558.html
効果モンスター/レベル12/神属性/宇宙人族/攻撃力5000/守備力5000 このカードの効果は無効にできない。 このカードの効果または発動を無効にする効果を無効にし破壊できる。 このカードが持ち主以外のフィールド上に存在する場合、 このカードのコントロールは持ち主に移る。 自分フィールド上に「長門」と名のつくカードが 2枚以上存在する場合、このカードは手札から特殊召喚できる。 このモンスターはカード効果では破壊・ゲームから除外されない。 このモンスターの召喚は無効化されない。 このモンスターの召喚・特殊召喚・特殊召喚に成功した時、 相手はカード効果を適用できない。 このモンスターの攻撃力・守備力は、 自分フィールド上に存在する「長門」と名のつくカード1枚につき 1000ポイントアップする。 自分フィールド上に「残り二週間の夜」が存在する場合、 このモンスターの攻撃力・守備力は3000ポイントアップする。
https://w.atwiki.jp/xghshuthj/pages/554.html
効果モンスター/レベル5/神属性/宇宙人族/攻撃力2400/守備力1200 このカードの効果は無効にできない。 このカードの効果と発動を無効にする効果を無効にし破壊できる。 このカードが持ち主以外のフィールド上に存在する場合、 このカードのコントロールは持ち主に移る。 このカードは自分フィールド上に表側表示で存在する 「長門」と名のつくモンスター1体をリリースし、 手札または墓地から特殊召喚できる。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5309.html
何も無い晴れた土曜とはなんと清々しいものだろう。 暇を持て余している一般ピープルどもには土曜日に予定が入っていないなどつまらないと思うかもしれないが、俺にとっちゃこの平穏な一日がパラダイスなのさ。 いつもパトロールと称して俺や長門、朝比奈さんに古泉、そして我が団長様の涼宮ハルヒが揃ってぞろぞろとUMA探しをしていることに比べたら、この何も無い土曜日をパラダイスと呼んでも大袈裟ではないだろ。 ここ暫らくはハルヒも落ち着いていて古泉曰く神人狩りの召集もないらしく、まったく何よりだ。 何も無い日がパラダイスとはいえ、家にじっとしていても我が妹に古くなったビニールテープを剥いだ後のようにベタベタとされるだけなので、俺はブラリと散歩ついでにコンビニに非難しに来たというわけさ。 別に買いたい物や読みたい本が有る訳では無いのだが、金を使わずに暇をつぶすにはもってこいな場所だ。 しかしながら、たまに週刊誌なんぞに目を通すと結構面白いもので、俺が熱心に週間誌に目を走らせていると、後ろから視線をジッと送られている事に気付いた。 振り返ると、そこには学校がとうの昔に終わったというのに我が北高の制服に身を包んだ154センチの小柄な体格にシュートヘアーをさらに短くした髪、淡雪のように白い肌、意外と整った顔立ちをし黒曜石のような目を持つ少女が微動だにせず立っていた。 「長門、お前か…こんな所で何やってんだ」 「買い物」と、凝固した表情で口だけが動く。 そりゃそうだろ、一応コンビニってもんは買い物目的で来る客が大半だろうからな。 「そうか、じゃぁ何を買いに来たんだ」 「…夕食」 「まさか、夕食はいつもコンビニ弁当なのか?」 十四秒の沈黙ののち、一言「…そう。」と言った。 長門よ放送事故ギリギリのタイムだぞ。 「それじゃ体に悪いだろ。自分で作ったりしないのか?」 「一人分を作ると、不経済。お弁当の方が経済的」 そう言って何か言いたげに俺をじっと見つめる長門。 そうだよな、一人の部屋で一人分を作り自分で食べる。どんなに美味しく作っても一緒に食べる相手が居ないんじゃ味気ないか。 「長門、暇なら俺と飯でも食いに行かないか。まだ、弁当買ってないんだろ。たまには外で晩飯ってのもいいもんだぞ。」 そういう俺を更に見つめコクンと顔を前に三ミリ倒した。 「でも、まだ晩飯まではちょっと時間があるな。その辺ぶらついてから食いに行こうぜ」 そう言って俺は週刊誌を棚に戻し雑誌コーナーを後にした。 それにしても、見てたのが隣の大人の魅惑コーナーじゃなくて助かったね。別に長門なら何も言わないだろうが、俺の心は純真無垢…かは分からないが、イチ高校生なのだ。 見ている現場を誰かに見られたら恥ずかしいという気持ちくらい持ち合わせている。その反面興味も勿論ある。 などと思ってたら、長門の目が俺や雑誌コーナーではなく、隣の魅惑コーナーに向けられていた。 「こういうの好き?」 何てこった、このトンデモ娘はいきなり答え辛い事をサラっと聞いてきやがった! しかも周りには他の立読み客も居てチラチラとこっちを見てやがる。 長門よ勘弁してくれ。それに情報統合思念体はエロ本なんて物に興味は無いと思うぞ。 それとも何か?お前個人として興味があるのか?それはそれで結構だが、その本は長門にはまだ早いと思うぞ…。って、手に取ってるし! 「これ、購入。」と言ってレジに向かおうとする長門の制服の後ろを捕また。 「な、長門それはな、十八歳未満は買えないんだ。」 「なぜ?」といって不思議そうな目をして首を横に傾ける。 「説明は後でしてやる、だから今はそれを置いて移動しよう。」 「わかった」 俺は長門の手を掴むと、立読み客の意味あり気な視線を一身に浴びながら、そそくさとコンビニを後にした。 長門は手を引っ張られ、いつもより少し早足で後ろをついて来る。 SOS団のたまり場の喫茶店から少し離れた喫茶店でやっと一息ついた。 何故いつもの喫茶店じゃないかって、そりゃ朝比奈さんや古泉に会う可能性だってあることだし、あのハルヒに会う可能性だって大いにあるわけだ。 いや、こういう状況下なら、何故か会ってしまう事の方が可能性大であろう。 そりゃやましい事など何も無いのだから、ハルヒに会ってもかまわんのだが、いちいち説明をせにゃならんのが面倒だし、ハルヒが俺の説明を素直に聞くとも思えん。 なにせあの団長様の頭の中には俺の意見は自動的に却下されるようプログラムされているらしいからな。忌々しい! 兎にも角にもだ、喫茶店の奥の席に座り俺はコーヒー、長門はハーブティーを飲みながら、さっきの大人の魅惑本について当らず触らずの説明を長門にしてやった。 本当なら「アレがどんな本か知っているのか?」や「興味があるのか?」「見たことがあるのか?」など色々と聞いてみたかったが、ただのセクハラ親父になりそうだったので、これらの質問をするのはパスした。 長門は時折、首を数ミリ横に傾けていたが最終的には納得してくれたようだ。 黄昏色に染められた喫茶店の横をいそいそと帰路へつくサラリーマンが増える中、俺と長門は図書館に向かった。 やっぱり長門を安全に時間つぶしさせるなら図書館が一番だろうと考えたのだが、それが甘かった。俺の学習能力の欠如だ。 時間をつぶすどころか、ハルヒ達と初めて駅前パトロールをした時のように、床に根をはやした長門はその場から動きゃしねー。 そろそろ、飯にも良い頃合だと思い長門に声をかけても、無言…。いつものように分厚いハードカバーの文字に目を走らせ時折ページをめくる為に手を動かす。 こいつは分厚いハードカバーしか読まんのか。と思っちまうぜ。たまには漫画や絵本なんかを読んでみてはどうだと薦めたくもなるね。 そんな事を考えているとフッと頭に浮かんだのが、長門に官能小説を薦めたらどうなるだろうか?と興味が湧いた。もちろん市民図書館にそんなものは置いてあろうはずもなかったが、珍しく文字本ではなく写真本と言っていいのだろうか?とにかくエロ本には興味を示したのだ。官能小説にだって興味をもっても可笑しくは無い。というより、こっそり読んでたりしてな。 長門よ、宇宙人製有機アンドロイドも一人身体をもてあます事もあるのか?あのハルヒでさえたまに身体をもてあます事もあると言っていたように…。 長門の自慰行為…だめだ、想像できねー。 “ハッ!”長門のブラックホールのような目がいつの間にか本から俺へと突き刺すように向けられていた。 「自慰行為?」 しまった、いつの間にか声に出しちまったか! 「いや、なんでも無いんだ。気にするな。独り言だ、妄言だ。」 長門の眼が俺の瞳孔の奥のさらに奥を捉えて放さない。 俺が取り繕っていると蛍の光が俺を救うかのように広々とした図書館に流れ始めた。助かった… 長門は読みかけのハードカバーを両手で抱えている。「それ借りるのか?」と聞くとコクンと頷いた。 閉館間際の人のまばらになった図書館内をテトテトとした足取りで貸し出しカウンターへ向かう。 カウンターに向かう途中で、長門が一言「たまに…」と言った。 気のせいか色白の長門の耳がほんのり色付いている様に見える。 それにしても何が『たまに…』なんだ、長門よ。 図書館を出ればもう、夜の九時を回ろうとしていた。俺はまず自宅へ電話をし、帰りが遅くなる事を伝えた。 「長門、そろそろ腹も減っただろ?俺はもう腹と背中がくっ付いちまいそうだ。飯食いに行こうぜ」 そう言って歩き出す俺に長門もハードカバーの入った貸し出し袋を片手に持ち俺の横を歩き出す。 少し歩いたところで、俺の手にちょんちょんと軟らかいものが当る気がしてスッと目をやると長門の手が不自然に宙を漂いながら俺の手に触れていた。 俺が気付いた事に長門が気が付くとサッと手を引っ込め両手で貸し出し袋を抱えた。表情はやや俯き加減でよく見えない。 「なんだ長門、俺と手を繋ぎたいのか?」 横をひょこひょこ歩いている長門は肩をピクンとさせ、貸し出し袋を持つ手にやや力がはいった。 ただし、俺にしか分からないナノ単位の動作だったが。そして俯き加減の長門は顔を左右に振った。 滅多に見れない無感情長門の感情。しかも女の子としての反応である。こんな長門を見るのはあの世界改変後の長門有希以来か? ハルヒや古泉の前では見せない反応。俺だけに見せてくれる反応。それはそれで得した気分だが、普段でも見せてもらえれば俺も部室に行く楽しみが増えるってもんなのだが… そんな事を考えつつ、俺は貸し出し袋を抱える長門の手をギュっと掴んだ。長門は微かに本当に微かに「あっ」と声を漏らした。 夜の街を照らす外灯下を手を繋ぎゆっくりと歩く二人。長門も繋いだ手を少し握り返していた。 それなりにムードがあったとしてもそこはそれ、二人とも金銭乏しい高校生であることに変わりは無く、しかも長門は制服姿である。 入れる所といえば必然的にファミレスとなるのを誰が咎められよう。 ファミレスに入った俺と長門は店員に中央の席に案内された。 「店中央の席かぁ、なんだか目立っちまうな」 「見られるの嫌?」と、少し寂しげに長門が言う。 「長門が気にしなければ、俺はかまわないさ」と言ったものの、本当は団員や顔見知りに見つかるんじゃないかと内心ヒヤヒヤものだった。 「大丈夫、私は気にしない」と言って長門は案内された席にちょこんと腰を下ろした。 メニューをじっと見つめる長門… 「今日は俺のおごりだから好きなもの頼めよ」 というより、いつもハルヒに何だかんだと言われSOS団全員の食事代を肩代わりしているようにも思えるが、今日は遠慮ってものを知らないハルヒやあのニヤケ野郎の古泉が居るわけではないので心の苦痛ってものは無い。ただし朝比奈さんなら、いつでも、おごりオッケー! 今日は長門一人だから出費もたいしたこと無いな。 この時、俺は予想外出費になることなど露ほどにも思っていなかった。 五分ほどメニューと格闘し、俺は店員をベルならぬプッシュボタンで呼んだ。 「お待たせしました。ご注文をどうぞ。」と言う店員に俺は、ハッシュドビーフハンバーグのAセットを頼み、長門はミックスグリルCセットとミックスピザと季節野菜のサラダと鶏の唐揚げを指差す。 「おいおい、長門そんなに頼んで大丈夫か?食えるのかよ。」 「育ち盛り」 今のは、長門なりのジョークなんだろうか?それにしても見誤ってたな、長門をただの小柄な女子高生だと勘違いしていた。 そういえば孤島でも結構食ってたな。宇宙人製有機ブラックホール恐るべし!! 注文した食事を待っている間、長門はゴソゴソとさっき図書館から借りてきた分厚い本を取り出した。 「長門よぉ、飯食いに来た時くらい読書は止めたらどうだ。何か話そうぜ。」俺はやれやれといった表情で長門を見つめる。 取り出した本をまた元に戻し、長門もブラックホールのような吸い込む眼差しで俺を見つめる。 「・・・・・」 「・・・・・」 緊迫した状態でも無いのに凍りついた時間が二人の間に流れる。 正直、たまらない…。 俺は凍りついた海を進む砕氷船の船長の如く、この状況を打破すべく話しをきりだした。 「長門はテレビとかは見ないのか」 「あまり」 「クラスで仲の良い友達とか居るのか」 「とくに」 「あー…、最近体調は~」 「悪くない」 「・・・・・」 「・・・・・」 「悪かった、本を読んでて良いぞ」 「そう。」 我が砕氷船はタイタニック号の如く氷山に沈没させられてしまった。 だめだ、会話が続かん。さすがは文芸部付属の置物的存在だ。 どうやったら会話が続くのか…というより、どうやったら一行以上喋らせる事ができるのか誰かご教授願いたい。 長門は借りてきたハードカバーの文字を部室と変わらず目で追う。俺はそんな長門をぼーっと見ていた。 暫らくすると、次々と料理が運ばれテーブルを埋めるように並べられていく。ほとんどが長門の食い物だがな。 「腹減っただろ。食おうぜ。」 長門は頷くと小さな声で「いただきます。」といって、食事を始めた。 淡々と一定のリズムで食材を口に運ぶ長門。みるみるうちに料理の下から白い皿が姿を現す。もちろん会話は無い。 無表情娘も会話をしながらゆっくり食べれば、それはそれは可愛い娘なのだが。 しかし、周りから見ると俺達二人はどう映っているのだろうか? 無言に食事をする姿は、やっぱり別れ間際のカップルに見えてもおかしくは無いだろう。何か残念に思えるのは何故だ。 俺が完食するちょっと前には、長門は既に皿を綺麗に空けていた。そして俺の皿を見つめている。その瞳は、まだ何か食べたそうな目である。 「長門、もういいのか?食べたい物があれば頼んでいいぞ。」という俺に、長門は少し躊躇しメニューの後ろの方に書かれていたチョコレートパフェを指差し「これ良い?」と聞いてきた。 食後にチョコパフェ。なんとも女の子らしいデザートじゃないか。 長門のチョコパフェを食べる姿なんて、そうそう見れるものじゃないからな。 おそらくSOS団メンバーの前では絶対に食わんだろ。俺だけの役得ってやつだ。 これだけでも今日おごったかいがあったってもんだぜ。 長門はチョコパフェを食べ、俺はコーヒーをまったりとして喉に流し込む。驚いた事にチョコパフェを食べる長門は先程の淡々とした食べっぷりとは一転して会話は無いもののゆっくりと細いスプーンで小さな口に運んでいる。 「パフェ美味いか?」 「とても」 俺は長門を見ながら、こいつもこうしてれば普通の女子高生と変わらないな。などと思いチョコパフェを食べる姿をじっと見つめていた。 長門は見つめる俺に気付き「なに?」と顔を上げた。 クスっと笑い「長門、口の周りにクリーム付いてるぞ」とハンカチで拭いてやる。すると長門は一般人が見逃すくらいの照れた表情で、下を向き「ありがとう」と言うと残りのパフェをゆっくり口に運んだ。 食事も終わり長門と何かを話すわけでもなく、ただ時間だけが流れて行く。 水の減っていないグラスに店員が水を汲みに来る、つまり“帰れ”という意思表示だ。 「長門、そろそろ帰るか。」と言って俺はレジへと向かい、長門は本を貸出し袋に入れて俺の直ぐ後ろを付いてきた。 食事代は嵩んだが、長門のパフェを食べる姿は食事代以上の価値があるように思うね。 ファミレスと出ると、もう行きかう人々はまばらとなっていた。 「早えーな、もう十一時過ぎてんのかよ。悪かったな長門、遅くなっちまって」 長門はいつものように無言で顔を左右に振る。 電車に乗り、ちょっと遠回りになるが長門を家まで送った。 長門を一人で帰しても襲われる心配はないだろうが、というより襲ったヤツの命の方が危険なのだが… 兎に角、見た目はか弱そうな女子高生なのだ、何も知らない男が欲望に任せて自分の命を危険に晒さない様に俺が送り届けると言う事がマナー(人命救助)ってもんだろ。 幾度も足を運んでいる高級分譲マンションの前まで送り届けると長門は「今日はありがとう。とても嬉しかった。私はあなたにとても感謝している。あなたに何かお礼がしたい。」 単語を並べたような言葉。しかし今回の言葉は長門にしては珍しく長文の部類に入るものだった。 「お茶…飲んでいって…約束だから」 「でも今日はもう遅いからな。」…約束してたっけ? 「だめ?」 俺の二十センチ側で見上げる長門。その見つめる瞳は全てを取り込んでしまいそうで、それでいて儚い眼差し…長門、その技はあまりに反則だぞ! もちろん、こんな魅惑的技をかけられた俺が招待を断る術も理由も持ち合わせてなどいるわけもなく、お茶だけならと招かれる事にした。これまでも長門の部屋には何度も押しかけているしな。 708号室の扉を開け「上がって」と長門が俺を招き入れる。 長門のほうから家に招かれたのは、出会って間もない頃に栞で公園に呼び出されたのちにココに連れて来られて、情報なんちゃら体だの対有機なんちゃらヒューマノイド・インターフェースだの永遠とデンパ話しをされて以来だな。 今では平然と宇宙人・未来人・超能力者と付き合っているが、あの頃の俺は無垢な一般ピープルな高校生だったのさ。 何度来てもあいかわらず殺風景な部屋だな。リビングルームに冬にはコタツとなるテーブルが一つポツンと置いてあり、隣には俺と朝比奈さんが三年間眠り続けた客間。大きなガラス戸にはカーテンも無く無用心この上ない。 「長門…、カーテン付けないのか?」 ガラス戸をじっと見つめ「この方が良い」と一言言うだけだった。 カーテンを付けない事には何か理由があるのだろうか? 「なぁ長門、夜景でも眺めているのか?」窓辺に立ち俺が質問すると、一言「ユキ…」と言った。 「ユキ?」 「そう雪。冬には雪が降ってくる」そう言うと長門は俺の横に立ち今から暑くなっていく空を見つめた。 俺は「そうか…」としかあいづちを打ってやれなかった。 長門は俺の方に向き直すと「お茶入れるから、座ってて」と言い台所へと向かった。 テーブルに座る俺にほうじ茶を入れる用意をしてくれる無駄な動作の無い小さな後姿。見れば見るほど、人形のように思えてくる。 コンロにケトルをかけ、一旦テーブルに戻ってきた長門は俺の目の前に座った。 音の無い時間が一秒一秒過ぎていく。 俺を見つめる長門は何か言いたげだった。こういう場合俺の方から何か話しかけた方がよかったのだろうが、話題がまったく浮かんでこない自分が嘆かわしい。 止まっていた時間を再始動させるが如く“ピ―――”っとケトルが沸騰の合図を送り、蒸気を三次元空間へと放出する。 それを合図に長門はスッと立ち上がり音も無く台所へ足を滑らせ、ケトルからポットへお湯を移しテーブルへと戻ってくる。その動きには、やはり無駄というものが無く、端麗ささえ漂っている。 お茶の葉を急須に移し、お盆の上に乗った口の広い御客様用湯飲みに熱々のお茶が注がれた。 初めて来た時は駆けつけ三杯、俺の向かいに座った状態からお茶を勧められたが、今日はお茶を入れた後一旦立って俺の横まで来て「はい、飲んで」と勧められた。 SOS団の麗しのエンジェル朝比奈さんが入れてくれるお茶は当然の如く格別なものだが、SOS団…いや文芸部のアンティークドールたる長門有希が俺のために入れてくれるほうじ茶も香ばしくかなり美味だと思うね。谷口に話したら卒倒してしまうほど悔しがるだろうな。 俺は、差し出された熱々のお茶をズズッと少しづつ口の中へと流し込む。 「おいしい?」 以前にも同じセリフを聞いた様な気がするが… 「ああ……」 そして、その時もこう答えた気がする… 「部室で飲むお茶より、おいしい?」 “ぶっ!” 「うわっ、熱ち熱ちち!」長門の思いもよらない言葉に俺はお茶を溢してしまった。上半身も、ズボンも共にビチョビチョだ!しかも今し方湧いたばかりの熱湯でたまったもんじゃない。 「うお~!熱つ、熱つ!長門、何か拭く物貸してくれ。」 長門は慌てて別室へ行き、タオルを持って小走りに帰ってきた。 「大丈夫?」そう言って濡れた服とズボンをタオルでパタパタと拭いてくれた。 パタパタ… パタパタ… パタパタパタパタパタパタパタパタパタ… あぁ長門、そんなにパタパタと刺激されたら俺の元気印が… て、やべっ!本当に勃ってきた。 そう思った次の瞬間には俺の股間に突貫工事でエッフェル塔が建築されていた。 パタ…長門の拭く手がエッフェル塔を押さえつけるように止まった。その部分をじっと見つめると、ゆっくり無機質な瞳が俺を覗き込んできた。俺はとっさに顔を背ける。 また、時間が止まり静寂という時が流れる。 長門の手が俺自身に触れているという思考(おもい)と伝わって来る感触が陶器の硬度からダイアモンドの硬度へと一気に変えていく。 俺は顔に大量の血液が激流のごとく巡って行くのがよくわかった。 「す、すまん長門。手をどけてもらってもいいかな?」 「陰茎海綿体内への大量の血液流入による膨大硬化状態。一般的用語で言うところの“勃起”を確認。あなたは今、性的興奮状態にあると考察する…違った?」そう言いながら長門は手を退けた。 俺は長門の言葉に無言のまま、情けない体勢を元に戻せず顔を背けたままのどうする事も出来ずにいた。 静寂な時間は、気まずい時間へとかわり二人をべっとりと包んでいく。 ゆっくりと体勢を元に戻し「俺、そろそろ帰るわ。お茶溢して、すまなかった…」 そういうと、まともに長門の顔を見れないまま逃げるように俺はビチョビチョのまま玄関へ向かった。長門も俺のすぐ後ろをついて来る。 玄関まで来て、靴を履こうとすると、長門がズボンの後ろを引っ張った。 “びちゃ”…つめてぇ~「何すんだ長門」 「待って、あなたの服はびしょ濡れ。原因は私にある。お風呂すぐ沸くから入っていって。明日になれば服も乾く。」 「それって、泊まっていけって事か?いくらなんでも、それはマズイだろ。」 「マズイ?」 「ほら俺達まだ高校生だし、誰もいない部屋に男女二人っきりってのはやっぱり…」俺は、なんだか初々しいカップルの様な答えをしてしまった。 「私はかまわない。ダメ?」 …いや、長門よ、お前がかまわなくても俺がかまうんだ。わかるだろ。 「スマン。やっぱ、帰るわ」 長門はこの答えに無言だった。ズボンの後ろを掴んでいた手が力無しげに外される。背中から伝わってくる寂しい雰囲気は長門の顔を見なくても、痛いほど伝わってくる。 俺は男として、このまま帰ってもいいものだろうか?何も無いにしろ(いやある筈も無いのだが)誰かに知られては、ただでは済みそうに無い。 学校に知られれば停学くらいはくらうかもしれん、ハルヒになんぞ知られた日にゃどんな事になるか想像もつかん。 俺もこんな時間に女の子一人の家に上がってしまった時点で何かある事も予測すべきだったのかもしれん。でも、せっかくのチャンス…いや好意を無下にする必要もないのでは?ばれなきゃいい事だし、長門なら情報操作だのなんだので上手くやってくれるかもしれん。 俺は泊まるべきか、帰るべきか脳内では一進一退の攻防が行われていた。 そして振り向きながら俺の口から出た言葉は。 「やっぱり。泊まっていってもいいか?」きっとその時の俺は何かを期待していたに違いない。 長門は消えてしまいそうなトーンで「いい。」と一言発した。しかし、その顔からは寂しいという雰囲気は消え恥じらいの表情さえ伺えて見えたような気がした。 いくらなんでも無断外泊というのは後々面倒になりそうだったので、家に連絡を入れ国木田の家に泊まるような嘘を言った。幸いな事に妹は既に夢の中だったらしく、あれこれ詮索されずにすんだ。 嘘をつく事に後ろめたい気持ちが無いわけでは無いが、面倒を背負い込むよりはマシだろう。 「今、お風呂を入れてるから、少し待って」 そう言った長門を見ていると、部屋を右から左へ、左から右へさっきまでの長門とは別人のように無駄な動作をしている。 いったい何をあたふたやってるんだろうね、この娘は… 「おい、いつものお前らしくないぞ。座って本でも読んで落ち着いたらどうだ?」 ゼンマイが切れたロボットのように、はたっと動きを止めたかと思うと、スムーズかつ静かに首から上を俺に向けた。俺を見つめる液体ヘリウムのような目をした長門を見て安心した。いつもの長門に戻ったようだ。 実はこの時の“元に戻った”という俺の考えはハズレていたのだが… 俺の意見に同調したのか、ひょこひょことテーブルの前まで来るとちょこんと正座をしてテーブルの上に置いてあった本の栞を挟んだページを開いた。 長門が本を読み出すと、必然的に俺は一人放置プレイとなるわけで、風呂にお湯が溜まるまでのこの無音な空間は俺には絶えがたい。 「長門、何か雑誌とかあると助かるんだが…」 長門は本から目を放さず、ただいつものように指を指すだけだった。指した先には長門の勉強机がありその上にいくつかの雑誌が積み重ねてあった。雑誌は女性ファッション誌であり見ても俺には面白そうにも無い。 驚きなのはいつも制服姿の長門もファッション雑誌に興味があるということだ。 長門の私服姿を見れるのは休日にSOS団のイベント事で呼び出された時位だけみたいだからな。普通の休みの日でも、もっとオシャレする事でも勧めてみるか。 ふっと前を見ると整理整頓され、きっちりと並べた辞書や参考書の中に赤い背表紙のアルバムらしき物を見つけた。長門のアルバム?4年余の人生…いや入学するまでは待機モードで一人この部屋に閉じこもっていたはずだ。 いや正確に言うと隣の客室には俺と朝日奈さんが寝てたわけだが…それは、どうでもいいか。 すると、入学してからの写真なのか?それともSOS団の写真か? そう考えていると中の写真が気になって仕方がなくなってしまった。 「よう、長門。このアルバム見せてもらっていいか。」 アルバムを手にとって言う俺に、長門は“ハッ”とした表情で俺を見ると、読んでいた本を床に放り出しパタパタと駆け寄ってきた。 「だめ。それ、見ちゃだめ。」 突然の長門の振る舞いに、俺はアルバムを待った手を上に上げてしまい、身長154センチしかない長門はぴょんぴょんと飛び跳ねてアルバムを取ろうとする。 焦りと恥かしさと切なさが入り混じったような複雑な表情がまた可愛らしい。 「わかった!わかったから、長門飛びつくな。おわっ!」 “ズダーーーン” 俺と長門は大きな音を立てて倒れこんでしまった。 「痛てててて…、長門怪我は無いか?」 「大丈夫。あなたが咄嗟にかばってくれたから、怪我は無い。」 身を起こした俺の顔の真下に整った長門の顔があった。それは互いの息が感じられるくらいの短い距離。長門の薄い唇が軽く開き息がもれ、俺の鼓動は一気に加速していく。こうなってしまえばブレーキを踏んでも、そうやすやすとは止まれそうにもない。 しかし、なんの偶然かそれとも神様の悪戯なのか、床に落ちページを開いたアルバムがチラリと目に入ってしまった。その事に長門も気付いたのか、次の瞬間俺は何故か天井を見ていた。 ・・・長門は何処だ???どうやら俺は急ブレーキではなく、事故停車したらしい。 首を上げるとそこには床にぺたんと座りアルバムを抱えている上下さかさまの長門の後姿があった。 よいしょと身を起こし長門の側へ行く。 「すまなかったな長門…」そう言う俺に、長門は顔を振り向かせ「これはダメ。秘密。」とちょっと怒った感じに言う。…でもスマン長門。アルバム見ちまった。 アルバムにはハルヒの命令で写真係りとなった朝比奈さんの撮ったSOS団の活動記録なるものと、それとは別にいつの間に撮ったのか俺の写真のページがあった。 あれは、ハルヒや朝比奈さんが撮ったものとは違ったように思えたが、やはり長門… お前が撮った写真なのか。でも、いつの間に…。 それにしても何故俺なんだ?他のページにはハルヒコーナーや朝比奈コーナー、古泉コーナーなんかもあるのだろうか? 長門はアルバムを胸に抱き、机の引き出しに大事にしまい込む。と、同時に『オフロガ ハイリマシタ』と電子音声がリビングに流れた。俺は追い立てられるように風呂場へと向かわされる。 脱衣所には洗面台と洗濯機に乾燥機、二段式脱衣籠などが置いてある、何の変哲も無い脱衣所だ。 俺を追い立てて後ろからやってきた長門は脱衣籠の上の段を指した。 「男性用下着は家には無い。これで我慢して。それと歯ブラシも置いておく」 指を指した先にはバスタオルと見覚えのある北高マーク入りの紺のジャージのみが綺麗に畳んで置いてあった。 つまり俺はノーパンでジャージを着て一夜を過ごす事が決定された。 「わるいな長門。シャージ有り難く使わせてもらうよ。」 「かまわない」 「・・・・・」 「・・・・・」 二人の間に沈黙が流れる… 「あのー長門さん、俺今から風呂に入るんですけど…」 「どうぞ」 そう言って、直立不動に立っている長門を俺は肩を落とし困り果てた顔で見た。 「どうぞって…服を脱ぐから出て行ってもらっていいか…」 長門は俺を数秒凝視してツーっと脱衣所を後にしてくれた。 体温を奪っていく濡れた服を脱ぎ捨て、風呂場に入ると入口正面には水垢のついていない大きな鏡があり俺の身体を映している、浴槽はこれまた普段使ってるのか?と思うくらいピカピカだし、シャンプーやコンディショナー、ボディソープのラベルが全てこちらを向き整然と並べられていた。 それにしても風呂の自動の湯張り機能ってのはいいもんだな。湯沸しタイプの風呂なんか、ちょうどいい温度と思って入れば下は真水だったりするからな。湯張り機能とまではいかなくとも温度管理くらいはどうにかならないものかね。そうすれば俺は生温い風呂で体を丸めてお湯が沸くまで耐えしのぐ事もなくなるんだがな。 体が温まったところで浴槽を出てボディソープをスポンジに取り、泡立ててから体を擦る。 “ゴシゴシゴシゴシ…” 家ではナイロンタオル型のヤツだから、スポンジってのはイマイチ洗った気がしない。しかも背中が届かない。 洋画なんかでは柄のついたブラシで背中を洗っているシーンがあるが、ここにはそんなものは見当たらなかった。 背中はあきらめて、体からそのまま顔を洗っていると、突然後ろのドアがガチャと音を立てて開いた。 誰だ!!。って、この家には俺と長門しかいないじゃないか。長門以外に誰が来る。 朝比奈さんなら絶対入ってこないな。ハルヒなら蹴り入れられそうだし、朝倉涼子なら何の躊躇も無く背中にナイフを振り下ろすだろう…考えただけでも恐ろしい。古泉だったら…それは別の意味で身の危険を感じる。などと現実逃避してる場合か俺! 待て待て、なぜ長門が入ってくる必要がある。そこまでこの風呂はデカくないぜ。それともお前も朝倉のように俺を殺りに来たのか?ってこれも現実逃避だ。 風呂場に入ってくるって事は、やっぱり俺同様一糸纏わぬ姿だよな。その気があるのか長門よ。理性が飛んじまったら俺は止まる自信がないぜ。 顔を洗っていた事を後悔するね。これじゃ長門の姿を確認できん。 とにかく男である象徴を隠さなければならず、タオルなどは無いので両手で隠すしか方法が無かった。しかも両手を使った事で俺は完全に自由を封じられてしまう形になった。 本来なら叱咤するところなんだろうが、俺は動転しまくったあげく「な、長門か、どうした?何の用だ?」と素っ頓狂な事を平然を装いながら言っていた。 きっと声は裏返り相当マヌケ野郎だったに違いない。 長門は俺の後ろまで来ると「背中流してあげる、あと頭も」と言いスポンジを手に取り、ボディソープを垂らして背中を擦り始めた。 上下する長門の手がいい感じの力加減で、やたらと気持ちいい。 「背中を洗ってくれるのは、ひじょーに有り難い事なんだが…」 「なに」 「いや、その…俺だって健全な男なんだぜ、その風呂場に裸で入ってくるって事がどういう事か分かってるのか?長門、お前だからと言って手を出さないとは限らんぜ」 「大丈夫、私は衣服を着用している。あなたが考えているような姿ではない。あなたは、そのままにしていればいい。」 「ああ、そうかい…」ちょっと期待していた分、安心40%、残念60%だぜ。 そのうちに洗っている場所が背中から頭に移っていた。 うっすらと目を開けて湯気で曇った鏡を見てみると、北高制服の色は確認されなかったように思えた。 痛たたたた。目に石鹸が入っちまった! 俺の頭を丁寧に洗い上げると、「後は、あなたが自分でやって」長門は、そう告げ風呂場から立ち去っていった。 俺は視界を邪魔していた忌々しい石鹸をシャワーで洗い流し、コンディショナーで短い髪をツヤツヤにして風呂に肩まで浸かった。 今日の長門の行動は何なんだ。またエラーの蓄積か?それとも、また世界を改変したのか?しかし俺の周りの奴らに変わったところはなかったぞ。長門は自分だけを改変した?それもノーだ。行動さえ大胆極まりないものだが基本的には無表情・無感動・無口の三拍子揃った長門有希だ。 考えを色々と巡らせ落ち着く事の出来ない風呂を堪能しすぎてしまい、ちょっと逆上せた。うっぷ…。 ふらつく頭で風呂を上がり、脱衣所でしゃがみ込んだ。あー、目眩がする。脱衣籠に目をやると下の段に一枚の白いバスタオルが軽く畳んであり触るとしっとりと濡れていた。 俺はその濡れたバスタオルを使ってもよかったが、せっかく長門が用意してくれた洗立ての香りのいいバスタオルを使用し頭のてっぺんから爪先まで気持ちよく拭きあげると、悪いと思いつつも下着もつけずにジャージを拝借する事にした。 が、途中まで着ようとして、ある事を再確認させられた。長門と俺の体格差がありすぎてジャージが入らない… 無理やり着たとしても、血流を止めて手足を真紫にして壊死させてしまうか、8歳児の洋服を着るビックリ人間さながらにテレビ出演するかのどちらかだ。 どちらも御免被りたいので、結局は濡れた自分の服を着る羽目になるようだ。 せっかく風呂に入ったっていうのに… その内乾きもするだろうと、あきらめて自分の服を着ようと思うと、Why?脱いだはずの服がどこにも無い! そして、目に入ってきたのは洗濯機。 まさかと思いつつも恐る恐る開けてみると、俺の服がポカプカと洗濯機の中で水泳の授業中だった。あまりにもベタだが、泊まらせる為の効果的な手段だ。 しかも俺の服と共に、明らかに男には必要の無い興味をそそられるもの達も一緒に水泳の授業を受けていた。今日の水泳の授業はは男女混合らしい。 良くも悪くも、これでSOS団全ての女性陣の下着を拝んだ事になるわけだ。…やっぱり良いのだろうな。 洗濯機からそれらを引き上げて拝ましてもらいたいという衝動にも駆られたが、そこまで愚行を行ってしまうと、ただの変質者であり、谷口と同レベルに落ちてしまうのでそれだけは避けた。 兎にも角にも現状況を打破するには長門に頼る他はないであろう。元を正せば長門が原因なんだし。 俺は脱衣場から顔だけを出して長門を呼び、長門は返事も無くいつもより歩幅狭くテチテチと歩いてきた長門をドア直前で静止させた。そうしないと脱衣所まで入って来ないともかぎらないからな。 「すまんがジャージが小さくて入らないんだ、他に何か無いか?」そういってジャージを差し出すと、長門はジャージを手に取り久々に聞く超高速早口呪文を唱えた。 「これで大丈夫」そういってジャージを戻された。 「着衣の繊維収縮情報を変更した。オールサイズモード。」 「分かりやすい説明ありがとう。助かる。」 「どういたしまして。」そういい残してまたテチテチとリビングへと長門は戻っていった。 俺は長門の歩き方の不自然さになど、その時は一切気にならなかった。なんせ着る服を調達するのと長門の大胆行動を防ぐのに頭がいっぱいだったからな。 さすがは長門マジックの賜物と言うべきか。今し方までまったく入らなかったジャージが俺の体型に合わせるように伸び、伸びたからといってビロンビロンになったり生地が透けたりはしなかった。 脱衣場を後にしリビングルームに戻ると、小さな背中を向けてページをめくる時にしか動かない凝固体がちょこんと座っていた。 「先に入らせてもらって悪かったな。それと背中サンキュー」と、照れながら言うと。 長門は本からは目を離さずに「かまわない。次は私がお風呂に入る番」そう言って本に栞を挟み制服のスカートを押さえながらぎこちなく垂直に立つ。 俺はここにきて、やっと長門の不自然な動きに気が付いた。 さっきから、やたらとスカートを押さえたりソワソワしているような動きが目立つ。 それに俺の背中や髪を洗ってくれたはずなのに制服に濡れた後や石鹸が付いた後が全く無いのである。 左手に着替えを持ち右手を腰に当て長門が風呂へと向かう。そして足取りはやはり歩幅小さくテチテチと歩いていく。 不自然な長門の動きに俺は「腰でも痛めたのか?」と訊いてみると、「なんでもない。ここから先は進入禁止」と言って風呂へと通じる廊下の曇りガラス戸をパタンと閉めた。 “進入禁止”って自分は堂々と俺の入浴現場に無断進入してきたくせに… 俺は名探偵の如く不自然な動きをする長門の現段階の情報をまとめてみた。 ①俺が風呂に入るまでは通常の長門だった。 ②洗顔中に長門の襲来。その時長門は衣服着用と言ったが俺は確認していない。 ③薄目を開けて曇った鏡を着た限りでは制服らしきものは映っていなかった。 ④脱衣籠にあった湿ったバスタオル。(あれって俺が風呂に入る時から置いてあったか?) ⑤洗濯機に浮んだ俺の服と長門の・・・ ⑥濡れていない長門の制服 ⑦長門のスカートを押さえる仕草とソワソワした感じ これらの事から導き出される答えは… 「うおぉぉぉ、俺はなんて勿体無い事をしちまったんだ!」俺なりに導き出された答えに俺はすぐさま頭を抱え悶絶してしまった。 長門はあの時“衣服着用”とは言ったが制服なんて一言も言ってなかったじゃないか。つまりあの時の長門は白いバスタオル一枚…これなら鏡に制服が映らなくてあたり前だし湿ったタオルの説明もつく。 そうなると洗濯機に入っていた下着はそれまで長門が着用していたものに間違いないだろう。って事は、今までここにいた長門の制服の下は… だめだ想像しただけで、鼻血が出ちまいそうだ! 焦るな焦るな俺!本当にそんな事が起こり得るだろうか? しかし乏しい俺の脳味噌が導き出した答えだとはいえ、確率的には高いんじゃないか!? “ここから先は進入禁止”と言っていたが、本当に進入禁止なのだろうか。実は密かに俺が来るのを待っているんじゃないか?そもそも先に入ってきたのは長門の方なんだし。 いやいや、待て待て。俺の推理が間違っていたらとんでもない事だぞ。 停学どころか退学か?下手をしたら犯罪者Aって事もありえるな。 ハルヒに嫌われるより、長門に嫌われる方がショックもでかいし、また何かあった時に今度は助けてくれないかもしれん。 それどころか朝倉涼子にやったように情報連結の解除とか言ってこの世から消されでもしたらたまったもんじゃない。 俺は悶々とした気分の中、頭の中では肯定派と否定派の鬩ぎ合いバトルが行われていた。廊下に通じる曇りガラス戸の前で俺は顎に手をあて檻のなかの熊のようにグルグル回っていた。 “!!!” 気が付くと、長門がガラス戸の前に立っておりグルグル回る俺をジッと見ていた。 「長門さん、いつからそこに…」 「三分四二秒前から」 「ずっと見ていたのか?」 長門は乾ききっていない前髪が少し動くくらいの頷きをした。 「そ、そうか…声をかけてくれればよかったのに…」 口元が引き攣りぎみに言う俺に、長門は無言無動のままアメジストのような瞳で俺を見つめ続けた。 長門の全身を見るとグリーンのチェックの前止めシャツに、同じ柄のズボンでシンプルだが可愛らしいパジャマ姿だった。 いや~透けてはいないものの腕や胸元近くまで開き長さは膝丈、首周りやスカート部の裾にピンクの縁取りとリボンがついた薄ピンクのネグリジェじゃなくてよかった。 もし、そんな妖艶な姿だったら間違いなく俺の理性は海王星くらいまで吹っ飛んでいただろうからな。 バツが悪くテーブルに戻り座りなおす。長門も定位置に座ると新しくほうじ茶を入れてくれた。 「あなたは、まだお茶を飲んでいない。飲んで。」 何が何でもお茶を飲ませたいのか?律儀なやつだ。 今度は噴出すことも溢すことも無く、二人向かい合いお茶をすすった。無論、会話は無い… ただ、長門のうつむきお茶を飲む顔が湯上りのせいだろうか、ほんのり色付いていたのが印象的だった。 夜も更け、お茶で気分も落ち着いたせいもあってか俺はうつらうつらとし始めていた。 長門が俺の肩を揺らして「起きて」と現実へと引き戻す。 「あぁ、すまん。寝ちまってたのか。」 「寝具を用意した。そっちで寝た方がいい。」 そう言い客間の方を指差した。 俺は眠い目を擦りながらうな垂れて客間へと案内される。 客間の引き戸を開けると、見覚えのある和室に見覚えのある布団が見覚えのある形で二組並べてあった。 懐かしい光景だ、朝比奈さんと三年間時間を止められた時もちょうどこんな風に二人して寝かされたんだったな・・・・・ って、「ちょっと待て長門!なんで布団が二組並べてあるんだ!」俺の思考能力が夢遊域から一気に覚醒域へと瞬間移動し、そのままパニック域まで猛ダッシュした。 「あなたの分と私の分」 宇宙人製有機アンドロイドは無機質な声質で平然と言ってのけた。 「そうじゃなくて、なんで俺とお前が同じ部屋で布団並べて寝なきゃならんのだ。」 「あなたは以前、朝比奈みくるとこの部屋で共に寝ている。今日は朝比奈みくると私の違いだけ。問題ない」 「問題ある。あの時は寝ていたんじゃなく、お前が時間を止めていたんだろ。それに一緒に寝てお前に手を出さないという自信が俺には無い。兎に角、俺はリビングにでも寝させてもらうよ。」 そう言った俺の腕に長門はしがみ付き、顔を左右に大きく振った。 「大丈夫。あなたはそんな事しない。私には分かる。だからお願い…」 “だからお願い…”って懇願されちゃったよ。どうするよ俺! 「よし、なら布団をもっと離して敷こう。それなら俺もOKだ。」 「了解した」そう言って長門は布団をズズズ…と動かした。 「朝比奈みくるの時より1メートル離した。まだだめ?」と更に懇願する眼差しで俺の事を見てきやがる。 なんでそんな目で俺を見るんだ。いつもの液体ヘリウムの眼差しはどうした!? 「わかった、わかった。それだけでも十分だ。」 やれやれとばかりに頭を掻きながら、どうなっても知らんぞと考えながら長門を見ていた。 今夜は俺の理性に全てがかかっているのである。いったいこんな我慢大会に俺を推薦しやがったのは何処のどいつだ!見つけたらタコ殴りにしてやる。 「長門、悪いが早々に寝させてもらうぞ」 兎に角、早く夢の住人へとなってしまうことが最善の策だと考え、布団を頭から被った。 寝ようとするが、何故か長門に抱かれているような感覚に陥る。 「あの…それ、私が寝ている布団…」 俺は跳ね起き、隣の布団へと飛び移る。 「それを早く言え。」 長門は手を前で組みもじもじしながら、顔を赤らめていた。 ちくしょう、なんでこんな時にそんな可愛い仕草をしやがる。何処で覚えてきた! 宇宙人製アンドロイドというより普通の女の子じゃねーか。 長門に背を向け目をつぶり火の輪くぐりをする羊でも数えるしか俺には自分を抑える手段が残されていなかった。 ドアや窓の施錠が確認され、リビングの電気が消され、客間の扉が閉められ、最後に客間の電気が消された。 長門が背を向けた俺の横にちょこんと座り「寝た?…おやすみ」という。 それに対して俺は起きてはいたが無言でいた。今言葉をかけてしまえば、その場の雰囲気に流されてしまいそうに思えたからだ。 施錠によって外界と隔離された家に無音と闇が支配する静寂な時が流れ、二人を包み込む。どれだけの時間が過ぎたのだろうか、俺は天井を見つめていた。 俺は横に寝ている長門に声をかけてみた。 「長門…起きてるか?」 「・・・・・」 長門は動く気配が無かった。寝ちまったか… 「…起きてる」 「今日のお前は、いつものお前らしくなかったぞ。何かあったんじゃないのか?俺でよければ遠慮なんかせずに言ってくれよ。」 -沈黙- 「…上手く言語化できない。」 「そうか。」 「そう。」 「いつでも話は聞くからな。それと早く寝たほうがいいぞ。」 「了解した。」 その言葉を最後に俺の意識は闇の中えと落ちていった。 * * * * * 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 優しい顔… 私は『彼』の事を固有名詞で呼ぶ事が出来ない。何故? 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の事をニックネームで呼んでいる。 私もあなたの事をあの名前で呼んでみたい。 「キョ…」 やっぱり何かが言葉を詰まらせる。この言葉は私の心拍数を急激に上昇させる。 何故? 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 私に表情は無い… そういうふうに作られたから。私は目立ってはいけない存在。 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の前で笑っていた。 私だって『彼』の前で笑ってみたい。怒ってみたい。泣いてみたい。 でも、それは観察者にとって邪魔なもの?目立つもの? そんな私の乏しい表情を気持ちを『彼』は読み取ってくれる。分かってくれる。 大事な存在。 彼女は『彼』の側に座って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 部屋の闇の中に、彼女の小柄ながらも整えられたスタイル、透明な肌が浮かび上がる。 寝る前まで来ていた着衣は彼女が寝ていた布団の上に脱ぎ捨てられている。 「一体私は何をやっているの」 error_ 「情報の修正が必要」 error_ 「こんな事をしてはいけない」 error_ 「だめ、『彼』に嫌われてしまう」 error_ 「また処分を検討されてしまう」 error_ 「その時は、またあなたが守ってくれる?」 [yes/no]?_ 「私という存在は、あなたの事がダイス…」 長門の薄い唇が眠っているキョンのザラついた唇に触れた… 刹那にして永遠とも思える時間が長門の中に流れていく。 そして長門の右目からユキ解けの水が一筋頬を伝っていった。 止まっていた時間は動き出す。 少しだけ、少しの間だけ『彼』を感じたい。その衝動が長門有希を突き動かす。 彼女は『彼』の布団に潜り込んみ、そっと腕の中に抱きつく。今まで感じたことの無いやすらぎが彼女の中に広がっていく。 * * * * * “うんん…”俺は息苦しさというか、胸部圧迫感とでも言うべきだろうか。兎に角、寝苦しさに目が覚めた。 天井を見つめ、今 自分が長門の家で寝ていることを思い出させる。 俺の身体に何かがまとわりついていた。ショートヘアをさらに短くした見慣れたパープルグレイの髪の毛でスースーと寝息を立てている少女。 って、長門、何やってるんだ!暗い部屋でも長門の白い肌が艶かしく背中まで見えている。 「長門!おいっ長門!」ダメだ起きやしねぇ 密着した身体に感じられるこの柔らく気持ちいい感触はなんだ。 長門に寝ていた布団の上にはグリーンのパジャマと白い下着が散乱している。 今度は間違いなく裸だ。見えているのは背中までで、その下や抱きついている身体前面は見えないものの100%誰がなんと言おうと天地がひっくり返らない限り、今の長門有希は一糸纏わぬあられもない姿だ。 俺は一気に汗が噴出す感じがした。それが緊張なのか焦りなのか期待なのかはまったく分からん。 体と手に触れる長門の素肌の感触。稚拙な頭で妄想する長門の全裸姿…俺の理性という鎖はまるでゴムで出来ていたように呆気なく弾け飛んだ。 「長門ー!!!!!・・・・・へっ!?」 体がまったく動かない。首から上は動くものの首から下は指先一本動きゃしねー。 そういえば以前も似たような事があった。忘れもしない、いや忘れられる訳がない。 あの朝倉涼子に殺されかけた時だ。あの時は首すらも動かなかったが…。 つまりこんな事ができるのは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたる長門、お前の仕業か! これはセキュリティーモードとかボディーガードモードとでも言うのか? 俺はただただ、長門の香りと寝息、そして首をもたげて確認できる範囲の長門の白い肌。そして体に伝わってくる長門の素肌の感触だけで我慢するしかなかった。 これじゃヘビの生殺しじゃないか! まさか寝る前の我慢大会が予選で、ここに来て我慢大会決勝になるとは思いもよらなかったぜ。 長門に借りたこのジャージを汚してしまわないか、それが心配だ… こんな悶々ギンギンとした状況下でも、俺はいつしか眠りについていた。俺ってスゲー 朝起きると、隣に長門の姿は既に無く、長門の寝具とパジャマが綺麗に畳まれていた。 あれは夢だったのか?にしては、あまりにリアルすぎる。いまだに長門の感触がこう… 俺は“ハッ”として布団を捲り我が親友を確認した。助かった…ジャージは汚さずにすんだ。 ただ、まだ背伸びをしている親友が元に戻るまでは布団から出れそうにない。 突然客間の扉が開き長門が入ってきた。 「起きた?」 俺はとっさに布団を引き寄せた。 「ああ、おはよう」 なんと今日は制服ではなく、白と青のボーダー柄のVネックTシャツに、カーキ色のハーフパンツ姿というラフな格好だった。 長門が俺を見下ろす。俺は長門を見上げる。いつもと逆のパターンだ。 「長門、お前昨日の夜…その…覚えてるか?」 長門は三秒沈黙した後五ミリ首を横に傾けた。 「いや、何でもないんだ。忘れてくれ。」 「そう……。これ、昨日汚れた服。洗って乾かしておいた。」 長門はそういうと手に持っていた服を俺の枕元に置き、その瞬間俺は長門の手を掴み引き寄せる。 体重を感じさせない長門の体は事も無げに俺の胸元に倒れこんできて、俺はそのまま長門を抱きしめた。 昨夜の出来事がどうしても夢とは思えず確認したかった。 この香り、服の上からだがこの感触、疑惑は確信へと変わった。 「長門…、お前やっぱり…」 長門は最初目を丸くしてパニクッていたようだが、すぐに顔を埋め俺の背中に手を回した。 長門の小さな体が小刻みに震えていた。 「泣いてるのか?」 「泣いて…ない。」 「そうか…」 「そう…」 長門の小さな嘘。俺は長門の震えを止めるように抱きしめた腕に力を込めた。 長門を幾時間か抱き締め、俺は長門の洗ってくれた服に着替えた。 リビングに行くとキッチンから長門がテーブルに朝食を出してくれる。 ハルヒについでなんでもこなすスーパーユーティリティプレイヤー長門有希。 その長門が作る飯が不味いわけがない。 昨夜と同じく二人で食べる食事なのに、今日の朝食は昨日の夕食より美味く感じられた。 ちなみに会話はやっぱり無い… 時計を見ると午前十一時過ぎを差していて思った以上に寝ていた事に気付かされた。 「それじゃそろそろ帰るよ」 長門は今回は首を縦に振って後ろを付いて来た。 「安心して、あなたが泊まった事は秘密にしておく。今はそれがベスト。特に涼宮ハルヒに知られれば世界改変の引金にならないとも限らない。」 「そうか。恋愛禁止なんて事もほざいていたしな。黙っていた方がいいか。」 長門を見ると、みるみる耳が赤く染まっていった。 「どうした長門、耳が赤いぞ???」 「なんでもない。あなたが気にする事ではない。」 「もし情報統合思念体が何か言ってきたら俺に言って来い!俺がまた守ってやる。」 「大丈夫。情報統合思念体は何も言って来ていない。」 「そうか。」 長門はコクリと頷く。 俺は靴を履き、長門の頭をクシャクシャと撫でて「それじゃまた明日。部室でな」そう言って、長門の家を後にしようとした。 すると長門は俺の袖口を引っ張って「よければ、また来て」と目を合わせずに言った。 「おう、今度はお前の手料理でも食わせてくれ。それと、休日くらい今日のように私服でいたらどうだ。その方が似合うと思うぞ」 「わかった、そうする。」 そう答えた長門は、微かに笑ったように見えた。 長門のマンションを後にし、雲のまばら青空を見上げた。何故だろうな、こんなにも清々しく感じるのは? 以前、鶴屋さんに“未来人か宇宙人だったら、どっちがいい? ”と聞かれたが、今日俺は“宇宙人を選んだ”という事になるんだろうな。 玄関のドアが閉じた後、長門は暫らくその場に立っていた。 「恋愛…」 自分でつぶやく言葉で、長門はまた耳が真っ赤になっていた… * * * * * 『観察対象を追加。パーソナルネーム・長門有希。彼女を観察者から観察対象者に変更。 ただし当該対象者には極秘。長門有希には引き続き涼宮ハルヒの観察を行ってもらう。』 「あらあら、長門さん大変な事になっちゃたわね。これから私があなたを監視する役目になっちゃうみたいね。」そこには長門の家を見つめる喜緑江美里のクスリと笑う姿があった。 ~ fin ~ ↑『ユキ道1.長門有希の慟哭』へ
https://w.atwiki.jp/post_map/pages/2134.html
(山口県)長門(日置)郵便局 郵便番号:〒759-44 集配地域:山口県長門(ながと)市の旧・大津(おおつ)郡日置(へき)町域。 1.jpg (山口県)日置郵便局局舎 2.jpg (山口県)日置郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2987.html
団長様がまだ来ぬ文芸部室。 学外団員の佐々木(今日は授業が午前中で終わったそうで、長門の次に来ていた)と長門が何やら小難しい会話を交わしていた。 俺も、古泉も、朝比奈さんも、手を休めて、二人の会話を聞いていた。 「長門さん。天蓋領域や情報統合思念体は、生物なのかしら?」 「生物とは、自己維持能力をもち自己複製を行なう体系化された物質結合体として定義される。物質としての身体をもたない彼らは、この定義には当てはまらない」 「でも、思考し何らかの活動を行なう知的存在であることは確かでしょう?」 「知性とは、情報を収集し蓄積した情報を自発的に処理する能力レベルによって判定される。彼らはその能力を充分にもつので、知的存在といえる」 「なるほど、知的存在ではあるけれども、生物ではないと。なら、彼らには、有機生命体がもつ生殖本能は理解しがたいものかもしれないわね」 「そう」 「九曜さんに接するときには、その点を念頭においておく必要があるかしら。まあ、彼女の場合は、それだけが問題じゃないけれども」 「彼女は、地球人類との情報交換能力が不充分。天蓋領域がどのような意図をもって彼女を構成したのかは不明」 「酷いいわれようね。あれでも、彼女は私の友人なんだけれども」 「彼女との間に友人と呼ばれるような関係を築くには、相応の労力が必要」 「それはそのとおりだと思うわ。でも、藤原君と友人関係になるよりは、簡単だと思うんだけど。そういえば、彼や朝比奈さんは、未来人だったわね。彼らは現代の人類と比べて生物学的に見て進化しているといえるのかしら?」 「生物の進化とは、遺伝子構成の変化を原因とする発現形質の変化の集積として定義される。その意味では、彼らは現代の地球人類と異なる部分はほとんどなく、進化しているとは言いがたい」 「じゃあ、科学技術の進歩と文化・環境の違いだけを念頭をおいておけば、いいかしらね。私が見る限りでは、感情や思考能力にも格段の変化があるようには思われないし」 「そう理解して構わない。ただし、未来の女性の胸囲の平均値は、現代の女性のそれよりも格段に大きい。むかつく」 長門は、そういうと、朝比奈さんの方を見た。 朝比奈さんが震え上がる。 「……今のはエラー。気にしないで……」 長門。何か怖いぞ。 「……ま、まあ……ヒトは、外見じゃなく内面だと思うわよ。それはともかくとして、彼らが過去が来るということは、それだけで歴史が変わってしまうことにならないのかしらね? もしそうだとすれば、彼らが過去に来たことで、彼らの帰るべき元の世界が変わってしまうことにもなると思うのだけれども」 「彼らのいうところの時間平面理論によれば、微細な介入は、その後の歴史の経過には変化を与えない」 「そういえば、藤原君もそんなことをいってたわね。パラパラ漫画がどうとか」 「そう」 俺は、朝比奈さんがかつて話してくれたことを思い出した。 あれは、なかなか分かりやすい例えだったな。 「逆にいえば、微細じゃない介入は、歴史を変える可能性があるともいえるわね」 「そう。時間平面理論は擬似的に次元を一つ減らして観念するモデルであるが、次元をさらに二つ減らして観念すれば時間の流れを方向性をもつ直線、すなわちベクトルとして観念することができる。 このベクトルに平行に力を加えれば時間軸を上書きすることができ、角度のある力を加えれば時間軸を分岐させることが可能」 「なるほど」 「彼らの目的は、上書きまたは分岐の阻止または保全にあると思われる」 「でも、おかしくないかしら? 上書きによって世界が変わってしまうなら、変わってしまった世界からはその変化は観測しようがないでしょうし、阻止することも不可能でしょう?」 「上書き前の世界構成情報も、この世界に発現しないデータとしては残存する。特殊な手段を用いれば、それを観測することは可能。この……」 長門は、パソコンを指差した。 「原始的情報処理装置の画面には現れない情報であっても、記憶媒体にはデータが残存しているのと、類似している」 「ファイルを消去しても、復元ソフトを使えばデータが取り出せるのと似たようなものね。それで、上書きの阻止が可能な理屈は、どんなものなのかしら?」 「上書きの効果がその後の時間軸にいきわたるには『時間』がかかるから」 「その『時間』は、四次元的な意味における時間とは異なる概念かしら?」 「そう。時間軸における時点と時点の間は、四次元的には時差として観念されるが、五次元的には擬似的に距離として観念できる。その距離を伝わる時間が、五次元的な意味における『時間』として観念できる。 五次元距離を五次元時間で除すれば、五次元速度を観念することも可能。この速度は、加えられた力の大きさによって変化する」 「つまり、上書きの効果が及ぶには五次元的な意味における時差があるから、その間に変化を観測することができれば、阻止に行くこともできるということね」 「そう」 「でも、その五次元時間や五次元速度は、観測者によって異なるものじゃないかしら?」 「そう。それは相対的なもの。もとより、四次元的な意味における時間も相対的なものである」 「確かに、相対性理論によれば、そういうことになってるわね」 ここまで来ると、無学な俺には到底理解できないレベルだ。 ところで、さっきから朝比奈さんの顔が青ざめているのは、なぜなんだろうね。 バン! 団長様が入室を果たし、会話は中断した。 ハルヒは、長門と佐々木が向かい合って座っているのを見ると、 「あら、有希。佐々木さんと何の話?」 「アインシュタインの相対性理論について」 長門の返答は、ぎりぎり嘘ではない。 「ふーん。まあ、いいわ。有希も佐々木さんも、いい話し相手ができてよかったわね。バカキョン相手じゃ、そんな話もできないでしょうし」 佐々木が反論する。 「話相手としての適性は、知的レベルだけで判断できるものでもないですけどね」 なんか微妙に馬鹿にされたような気がするのは、気のせいかね。 ハルヒはそれには答えずに、パソコンの前に座って、ネットサーフィンを始めた。 長門と佐々木が会話を再開する。 今度は、ハルヒに聞かれてはまずいような話は含まれてなかった。 アインシュタインから始まった話は、いつの間にか、カントやデカルトといった哲学の領域に変わっていく。 何はともあれ、長門はなんだか楽しそうだ。 それは、悪いことではないのだろう。 だから、ここはひとまず、佐々木には感謝すべきなのかもしらんね。 終わり
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4901.html
六 章 Illustration どこここ 頼んでいたマリッジリングができたという連絡が入り、俺と長門は受け取りに行った。当然だが俺が長門のをもらい、長門が俺のを預かる。こっそり蓋を開けてみたがポツリと埋め込まれた小粒のダイヤがなかなかにかわいい。リングの裏側には長門デザインの宇宙文字の半分が刻まれている。これが俺たちの絆になるんだよなあ。 招待客のピックアップだけして、会場と衣装の用意はハルヒが一式任せろというので放っておいた。長門の招待客リストを見ると俺とほとんど被っていて、うちの社員とハカセくん、機関の顔見知り、トータルで二十人にも満たない。 「俺たちの知り合いって、数えてみると意外に少ないんだな」 「……そう」 「じゃあ高校のときの同級生なんかも呼ぶか」 「……いい」 頭数といっちゃ失礼かもしれないが、式場と披露宴会場を埋めるために阪中に頼んで同窓生名簿をFAXしてもらった。三年五組の卒業生全員と、あとはENOZのメンバーくらいか。ああ、岡部を忘れてた。ハルヒが披露宴の客を百人集めろと言っていたのだが、いくらかき集めてもそんなにいないよな。 「長門、大学院の先生とか同級生も呼んでくれ。人数が足りない」 「……分かった」 もう“ご出席・ご欠席”の返事をもらうのがめんどくさくて、来たいやつは来い、来れないやつはメッセージでもよこせと一方的に招待状を送りつけた。いったい何パーセントの人間が集まるのか予測もつかんが、まあなんとかなるだろう。 俺たちの周辺はほとんどが学生の頃からの付き合いばかりで、SOS団の奇矯な活動ぶりを知らないやつはいないんだが、招待された客の中でハルヒを知らないやつらが初めてハルヒを見たらさぞかしぶったまげるに違いない。 そんなこんなしているうち、式もいよいよ翌日と迫り、なんだかやり残したことがまだありそうな気がして妙に不安にかられるんだが、思いつく限りの用意はしたはずであとは野となれ山となれって気持ちだ。 式の前日はなにもすることがなくひとりで自室にこもっていたのだが、どうも落ち着かなくて長門にこっそり電話をかけた。 「な、なあ。今日お前んちに泊まろうと思うんだが」 このひと言を言葉にしてノドから出すのにやたら緊張して目が泳いでいた。 『……すまない。今日は、用事がある』 意を決してお泊りを申請したのだがあっけなく却下された。ホッとしたというか、でも少し寂しいみたいな。 「そうか。いやいいんだ。式が終わったらお前んちに引っ越すわけだし」 にしても、俺が泊まれない用事ってなんだろ。 『……涼宮ハルヒの部屋に呼ばれている』 「あ、もしかしてあれか。花嫁の女友達を呼んで式の前日にやるとかいう、」 バ、バチェラーパーティかよ!マッチョなストリッパーを呼んでテーブルの上で腰をクネクネ躍らせたり着てるもんを剥ぎ取ったりしねーだろな。俺はハルヒと長門が一万円札を筋肉隆々ストリッパーのパンツに挟んでいるところを妄想してしまい頭を振った。 長門曰く、今までハルヒの部屋に泊まったことがなかったので、これが最後だからと呼ばれたのらしい。最後というか結婚してもたぶん呼ばれると思うぞ。俺たちの新婚生活に探りを入れるためにな。 その日俺は自室のベットでまんじりともせず眠れない夜を過ごしていた。家の中は緊張感とも期待感とも惜別の思いとも言えない奇妙な雰囲気に包まれていた。妹も両親もやけに無口で、テレビの画面を意味もなく眺めるほかは思い出したように長門のことを聞いてくるくらいだった。俺もああとかうんとか曖昧に答えるだけで、どうもこの家から出て行くという実感がないことに戸惑っていた。シャミだけが変わらず俺の足元をぐるぐるとまわって甘えている。 「キョンくん、シャミはどうするの?連れて行くの?」 「こいつはこの家が気に入ってるようだから置いてく。お前が面倒みてやれ」 「うん、分かった。シャミ~明日からあたしと寝るんだよ」 シャミセンはそんな我が家のイベントを知ってか知らずか、猫マフラーをしようとした妹の手から逃げた。猫ってのはそうあれこれかまってやることはないんだが。人形のように動物を扱う妹には犬のほうが合ってるかもしれん。 「ああそれからな、俺の部屋にあるテレビとかゲームとか全部やるわ」 「ほんとう?わーい」 貸していたハサミは結局俺のところには戻ってこなかったが。 ベットの上でじっと天井を見つめたままなんだか落ち着かない。不安とかそんなありきたりな感情ではなくて、ここから俺のなにが変わるんだろうかという一抹の……なんだろう。言葉にならない。生活のスタイルだけが変わって俺自身はなにも変わらないのだろうけれど。気持ちとしては長門と二人でうまくやっていけるかという迷い、あるいは長門が家族になることへの戸惑いか、俺なんかが長門を幸せにしてやれるのかという疑問か、たぶんそんなところだ。もう長門とは呼べなくなるよな。 「有希、有希、か」 口に出して言ってみたがどうもしっくりこない。いっそのことのろけモードでユキリンと呼んでみようか。 「なあユキリン」 「……なに、ダーリン」 などと周囲がブリザードに見舞われてしまいそうな二人の会話を想像して俺は枕をボスボスと叩いた。やたら恥ずかしいじゃないか。 にしてもあいつら今ごろなにしてんだろ。ハルヒと長門がその夜なにをしているか俺の知るところではないのだが、── これもまた後になって聞いた話だ。 ハルヒが電灯のヒモをパチリと引いて消した。そのままスヤスヤと寝息が聞こえてくるのかと待っていたがそうでもなかった。長門はじっと息を潜めてハルヒが眠りにつくのを待っていたのだが、どうやらハルヒも長門が眠るのを待っているらしいのである。 「有希、どうしたの?」 「……眠れない」 「そうよね。あたしもなんだか頭に血が登っちゃって眠れないのよね。遠足の前の日とか、旅行に行った先の宿とかね」 「……一種の興奮状態」 「そうそう、アドレナリンが漏れ出してる感じね」 ハルヒが唐突に切り出した。 「ねえ有希」 「……なに」 「前から思ってたんだけど」 長門には、どこかでギクという音が聞こえたそうだ。 「キョンってふつうじゃないわよね」 「……ふつう、とは」 「はっきり言うけど笑わないでよね。キョンってもしかしてふつうの人間じゃないんじゃないかしら」 「……それは、わたしも疑っていた」 「でしょでしょ、有希もそう思うでしょ。あいつはほかのやつとはどこか違うって、会ったときから思ってたんだけどね。もしかしたら宇宙人とか」 暗闇の中で、長門はどう答えようかと何パターンもの会話のやりとりを計算した。 「なんでそう思ったかというとね、あのね、秘密だけど、古泉くんは実は未来人だったのよ」 「……」 「実を言うと十年前に一度古泉くんに会ったことがあるの」 ハルヒは誰にも教えてない秘密を打ち明けるように目をキラキラと輝かせて言った。まずい、これはまずい。ハルヒが危険エリアに近づきすぎている。といっても明後日の方角だが。 「……そう」 長門はどう反応したものかずいぶんと迷ったそうだ。ハルヒと古泉が遭遇したいつかの七月七日、その場に居合わせていたがために、話を合わせるのも知らぬ存ぜぬとごまかすのも困難を極めた。 こういうときは相手に話をさせるに限る。 「……詳しく」 「聞きたい?聞きたいでしょ。あたしもまさかあそこで未来人と遭遇するとは夢にも思ってなかったわ」 ハルヒがモノローグを延々続けるどっかの主人公のようにもったいぶって言うと、長門もしょうがなしに釣られたふりをした。自分も古泉を未来人に仕立て上げた一味なのだが。 「……かなり、興味がある」 「あたしが中学生のころなんだけどね。夏だったかな、夜中に中学校の運動場に地上絵を描いたことがあったのよ」 「……どんな絵」 「なんていうかね、あたしが勝手に作った宇宙文字なんだけどね。この広い宇宙にもし人類以外の知的生命体がいるなら、あたしのところに来なさい、みたいな意味のね」 「……それは、新聞で見たことがある」 「そうそう、地方欄に出たのよあれが。謎の地上絵出現とかタイトルがふってあってもう笑っちゃったわ」 「……」 「でね、運動場に忍び込もうとしたとき古泉くんにバッタリ会ったの。そのときは近所のおっさんだと思ってたんだけど、よくよく見るとこっれがまたいい男なのよ」 「……」 俺だったらハルヒのノロケ話なんかまともに聞いていられなかっただろうが。長門はコクコクとうなずいて真剣に聞き入っていた。 「絵を描いたあと二人で少し話してたんだけど、宇宙人も未来人も超能力者もいるって言うじゃない。思ったわ、これこそあたしの求めていた人だ、ってね」 「……それで、好意を持った」 「ううん、そのときはまだそういう気分じゃなかったの。あたしはもうどっかにいる宇宙人に送るメッセージのことで頭がいっぱいでね。それから二三日してからだったわ、古泉くんのことをもっと聞いておけばよかったと思ったのは」 「……そう。四字熟語を用いるなら、一期一会」 「まさにそれよ。チャンスはそうそう訪れるもんじゃないわ。人生で一度あるかないかってこともある。それを逃したらもう後は後悔の日々よ。思ったわ、どうしてあのとき古泉くんの電話番号を聞かなかったのかって」 「……」 「あんたも、幸せになるチャンスは絶対逃しちゃだめよ。乗り損なったら、それからはつらいだけだからね」 「……分かった」 しみじみとうなずいてみせる長門だった。 「でさあ、古泉くんが未来人ってことはよ?もしかしたらキョンは宇宙人で、みくるちゃんは超能力者かもしれないじゃない」 「……そう、かもしれない」 そこで話を合わせるにはかなり無理があるが。 「で、思ったわけよ。あんたも実はなにかしら特殊な能力があるんじゃないかって」 話はそこにたどり着くわけか。さて、長門がどう答えたか。 「……」 「あたしの勝手な妄想だけどね。そうだったら楽しいじゃない」 「……実は」 「え?」 「……わたしは、魔法が使える」 ま、まじか。いよいよ正体が明かされるのか。 「どんな魔法?」 「……見て」 長門は寝たままの姿勢で、なにかを包むように両手を合わせ、ゆっくりと手を開いた。真っ暗な部屋のまんなかで、黄緑色のぼんやりとしたホタルのような光が手のひらの上にともった。 「すごいすごい、きれい」 ハルヒは闇の中にともるその光を呆然と見つめた。 「どうやってやってんのこれ」 「……ただの、手品」 「タネは?」 「……内緒。教えると価値が下がる」 「そ、そうね」 それは手品じゃなくて長門の本当の魔法だったのだが、ハルヒにとってはどっちでもよかった。 「きれいね。形があるわけじゃないのね」 長門の手の中で光るホタルのようなものに触れようとして、そこには形も熱すらもないことを不思議そうに見ていた。 「……そ」 長門は手を握り、光を消した。もう一度開くと何もなかった。 「へー、こういうのやれるんだ。またいつかやってみせてね」 「……分かった」 「ねえ」 「……なに」 「手、握ってていい?」 「……」 ハルヒはやっと落ち着いたらしく、スヤスヤと寝息を立てて眠りについた。長門もその寝息を聞きながらうとうとと眠りに落ちた。 と思っていたらハルヒが突然話し掛けた。 「ねえねえ」 寝るのか話があるのかどっちかにしろと。 「あんた、自分がちっぽけな存在だって気づかされたことってある?」 「……これまでに二度、ある」 ハルヒは別に質問しているわけではなくて、自分にはそういうことがあったんだという問わず語りだった。 「小学生のときだったと思うけど、親父に連れられて野球を見に行ったのよ。そのとき球場には五万人くらいいたんだけど、帰って計算してみたら日本の人口の二千分の一でしかなかった。あんなにたくさん人がいるなかで、あたしの存在はそのまた五万分の一に過ぎなかった。驚愕だったわ」 「……そう。わたしの場合は、」 と言いよどんで、 「……自分の能力で動かせると思っていても、実際には大きな渦の中を泳ぐ一点の泡にしかすぎないということに気が付いたとき」 「難しいわね」 「……自分の力を過信していたのかもしれない」 「自分の力で生きていると思ってても、実は何か別の力に背中を押されてたってこと?」 「……そう。近い」 自らの能力を意のままに操る長門と、まったく知らずに能力を使っているハルヒがこういう話をするのは実に面白い。 「あたしもね、たまにだけど誰かに人生をいじられてるような気がすることがあるのよね」 「……」 長門は返事をしなかった。ハルヒを、あるいは世界を守るためとはいえハルヒ個人の人生に意図的な影響を与えている俺たちの存在にうすうすながら気が付いているのかもしれない。 「でもま、別に誰が干渉しようといいわ。今はシアワセだから」 「……そう」 長門はわざと寝息を立てて寝たふりをした。目を閉じたまま物思いにふけっていた。しばらくしてハルヒもスゥスゥと寝息を立てた。 「キョンく~ん、いつまで寝てるの、起きないと遅刻しちゃうよ」 「いやだ。まだ目覚ましは鳴ってないだろ」 「今日が最後だっていうのに、やーっぱりあたしが起こさないとだめなんだよねえ」 やけにリアルな結婚式の夢を見ていてやっと終わったなぁなどと布団の中で温かい安堵感に包まれていたのだが、妹の声を聞いて俺はガバと飛び起きた。 「おい、今何時だ」 「もうすぐお昼だよ」 やっべ、完璧に遅刻だ。またハルヒにどやされる。 「キョンくん、朝ごはんは?」 「こんな緊張する日に飯を食う余裕なんてない」 「だめだよ~、せめて牛乳だけでも飲んでいかないと。式の途中で倒れちゃうよ」 妹だけがいつもどおりうるさくて、親父とおふくろは自分達の衣装で手一杯で俺にかまけてる余裕はないようだ。吐きそうになりながら牛乳をガブ飲みして家を出た。 長門はハルヒと会場へ直行、うちの家族はタクシーで時間までに来ることになっている。俺はひとりで自転車に乗って中央図書館まで全速力で飛ばした。 今日は休館日で正面玄関はまだ開いておらず、地下の通用口から入ると古泉が待ち受けていた。 「おはようございます」 「おおう、おはよう。なんだ、顔が疲れてるぞ」 「式と披露宴の用意で徹夜でしたからね」 古泉は頭を掻き掻き一階のドアを開けた。フロアに足を踏み入れると、ここが図書館だとは思えないほど立派に飾り付けられていた。すべてのガラス窓のカーテンを取り外し、外から光が射すようになっている。西側の壁に花のアーチがあり、その前にミニ教卓みたいな演壇が置いてある。洋式にすると言ってたからたぶんここに牧師か神父様が立つんだろう。その演壇の前から東に向かって白い布が敷いてあり、階段口まで伸びている。これが花嫁と付き添いが歩いてくるバージンロードだ。そのバージンロードの両側にフラワースタンドが立ててあった。ここに招待客の椅子が並ぶのだろう。 確かこの場所には一般書籍の棚があったはずなんだが、本棚を全部動かしたらしい。カウンタも一部なくなっている。肉体労働ご苦労だったろうに。 「よく使用許可が下りたな」 「それはもう、機関の仕事ですから。市議会にもコネはあります」俺の知らないところでかなり予算を使わせたようだな。 招待客は普段と同じ正面玄関から入る。入り口の両脇に大きなフラワースタンドが飾ってあった。通路に並んだ小さなフラワースタンド同士はリボンで結んであり、花でデコレーションされた道に沿って進むと、自然光で白く浮かび上がる式場を目にするという演出だ。 「よくできてるな」 「そうでしょう。今回は自信作みたいですよ」 まじでブライダルプランナーとして食っていけそうだぞ。 「なにやってたのよキョン!」 「すまん、昼飯おごるわ」 「そんなこと言ってる場合じゃないわよ、ほら手伝いなさい」 青いつなぎを着て頭にはタオルを巻いて走り回っている。徹夜明けだとはとても思えんバイタリティだな。 「キョン!ぼーっとしてないで照明取り付けるの手伝いなさい、あんたの挙式でしょうが」 「分かった分かった。おい古泉、時間まで寝てていいぞ」 「じゃあお言葉に甘えます」 俺はジャケットを脱いで腕まくりした。作業着でも着てくるべきだったか。 「長門は来てるのか」 「有希は二階の会議室でメイクと衣装合わせしてるわ。花嫁は人前に出ちゃいけないのよ」 「リハやんないのか」 「リハーサルなんてやらなくていいわよ。すべてあたしの予定通りよ」 なにをやらかすか予測すらつかんお前だから余計に心配なのだが。 「みんな、残り三時間を切ったわ。一気に攻め落とすわよ!」 なにと戦ってるのかよくわからんのだが、走り回っているのはハルヒだけではなくて、うちの社員全員と、それからハカセくんと、機関の人やら鶴屋さん経営の花屋さんまで借り出されているようだ。 場所を借りることができたのは今日一日だけで、十時にカギを開けてもらってから一階の本と雑誌の三分の二を書庫に移し、椅子と本棚を上の階にある展示室まで動かしたとのことだ。終わったらまたこれを元に戻さなければいけないのだが、そのときには俺も動員されるわけだな。やれやれ今から腰が痛いぜ。 「おいハカセくん、あんまり無理すんなよ」 「あ、おはようございます先輩。それからおめでとうございます」 「ありがとよ。適当なところで休んでいいからな」 やせっぽっちのハカセくんは足元もふらつく危うい様子で、教会にあるような五人掛けくらいの横長椅子を抱えて運んでいる。 「日ごろ運動してないんで、やっぱりきついですね」 「研究室に筋トレのベンチプレスでも置いてやろうか」 ハカセくんは肩にかかったタオルで汗を拭いながら苦笑していた。 「みなさん、お昼ごはんにしませんか~」 メイド姿の朝比奈さんが現れるやいなや作業していた人たち全員の目がそっちに動いた。それまで動いていたハンマーやら曲尺やら電動ドライバやら園芸用ハサミなんかがぴたりと止まった。 「おはようございます朝比奈さん」 「いよいよ今日ね」 「そのメイド衣装もひさしぶりですね。ハルヒの命令ですか」 「いいえ、今日くらいは自分で着てみようかと思ったの。キョンくん、この衣装好きでしょう?」 俺のために大サービスですか、感涙です! 「なんというかその、この雰囲気にすごく似合ってますよ」 メイドといえば朝比奈さん、朝比奈さんといえばメイドというくらいに俺の中では代名詞化しているこの姿が若かりし頃を彷彿とさせる。 夏向けメイドスタイルの袖も裾も短めなドレスに白エプロンを鑑賞しているとドヤドヤと飢えた作業員が押しかけ、テーブルに盛られたおにぎりやらお菓子やらサンドイッチなんかをむさぼりはじめた。むさぼりながら朝比奈さんのメイド姿をうんうんとうなずいて眺めていた。 「キョンくんも今のうちに食べておいたほうがいいわ。披露宴じゃ二人とも食べてる時間ほとんどないから」 「そうなんですか、いただきます」 「じゃ、また後でね」 朝比奈さんは大盛のサンドイッチを半分ほど取り分けて長門のために持っていった。俺と長門はハルヒにいったい何をさせられるんだろう。 ホールの掛け時計が一時を回った頃、ハルヒに呼ばれた。 「キョン、そろそろメイクするから控え室に来なさい」 ハルヒの大声にビクリと振り返った。 「メイクっておしろいでも塗るつもりか」 「はぁやくぅ、メイクさんスタンバってるから来なさい、顔剃って髪の毛もセットしないといけないでしょ」 いちおう髭は剃って髪の毛も整えては来たんだがそれだけじゃ満足できないらしい。その辺にいる機関の人に、そいじゃ後頼みますと工具を渡して作業から抜け出した。 市民がイベントなんかで使う二階の集会室を控え室にしているらしい。ドアを開けると鶴屋さんと朝比奈さんの笑い声が聞こえた。盛り上がってるようだな。 「キョン、間仕切りからこっちは女子ルームだから、絶対覗いちゃだめよ」 「そんなマネしねーよ」 「式の前に花嫁に会っちゃ縁起が悪いんだからね」 昔から言われてることだろ、分かってるって。でもちょっとくらいいいよなーなんて隙間から覗こうとしたらハルヒに耳をひっぱられた。 「さっさと髭剃るから耳貸しなさい」 イテテ俺の髭は耳には生えてません。 ハルヒと朝比奈さんが交互にカミソリを当てて顔をなでた。メイクさんって朝比奈さんだったのか。 「なんで顔なんか剃るんです?」 「お化粧のノリをよくするの」 なるほどね。うぶ毛と一緒に顔の表面の脂を取ってるわけか。女の人はいつもこれをやってるわけだ。 「なんなら眉毛も剃る?」 「いえ、眉毛だけは自前で行きたいと思います」 というより、朝顔洗うときに眉毛のない自分の顔を見て腹抱えて笑いそうだからな。最近は剃ってる野郎も多いらしいが。 とはいうものの、キョンくんは眉毛が薄いわねというので少し描いてもらった。鏡を見るとなんというかこう、舞台役者とまではいかないがモデルくらいにはキリリとした眉毛になっていた。アイブローペンシルってのは実に便利だな。鏡を前に眉毛を上げたり下げたり寄せたりしているとハルヒが顔を覗かせて多少はマシじゃないのと笑っていた。いつもは間抜け面で悪かったな。 ピシっとモーニングを着込んで髪にドライヤを当ててもらっているとドアを開けて国木田が入ってきた。娘らしき子供の手を引いている。 「キョンおめでとう」 「おう国木田か、すまんがまだ準備中だ。下で待ってろ」 「ひどいなあ、僕はキョンの付き添いだろ」 「え、俺聞いてねえぞ」 「あたしが頼んだのよ」 「てっきり古泉がやるもんだと思ってたんだが」 「古泉くんは披露宴のほうが忙しいの。こういうイベントは全員に満遍なくキャスティングするのがいいのよ」 ハルヒ流の配役か。なるほどね。 「そいうことならまあ、頼むぜ国木田」 「お任せ」 国木田は自分の胸をドンと叩いてケホケホ咳をしていた。 「その子、国木田の子か」 「そうだよ」 「こんにちはお嬢ちゃん、何歳かな」 手を振ってみせたのだがはにかんで父親の後ろに隠れ、四本の指だけ立ててみせた。なるほどね。年齢的に言えば俺にもこれくらいの子がいてもおかしくないんだよな。 ドアが開いて作業服姿の部長氏が入ってきた。 「社長はこっちかな?」 「待ってたわよ部長、さっさとそれ脱いで」 「ま、まさか僕を身包み剥ごうってのかい!?」 「バカなこと言ってないで、さっさと鏡の前に座りなさい」 部長氏は隣の椅子に座り、 「ベストメンはふつう結婚式の仕切り全般をやるんだけどね」 「部長氏、ベストメンってなんですか」 「知らないのかい?新婦の付き添いがブライドメイド、新郎の付き添いがベストメンだよ」 「ああ、部長氏もだったんですか。こっちは同じく付き添いの国木田です」 「こんちわ。元コンピ研の部長さんだよね、涼宮さんの会社で働いてるんだって?」 「これはこれはどうも、うちの社長がお世話になってるようだね。よろしければ名刺交換などはどうかな?」 部長氏の丁寧語もなんだが変だが。こんなとこで営業モードか、やれやれ。 部長氏と国木田が揃いのタキシードを着込んでいるのを見ていて、なにか忘れているような気になった。とはいってもどうでもいいような、でも忘れると後々厄介なことになりそうな、でもやっぱり思い出せない。忘れ、わ、わわわ……。 「やべ、忘れてた」 「どうしたの?」 「谷口だ。あいつに招待状出してない」 「あんなもの、結婚しましたのハガキ出しとけばいいわよ」 「絶対に呼べと言われてたのに俺殺される」 俺は携帯を開いて谷口に電話をかけた。 「おい谷口」 『なんだキョンか。今日暇ならお前のおごりで呑みに行くか』 「それどころじゃねえ、今から結婚するからすぐに来い」 『は?なに言ってんだお前』 「もうスタンバってんだ、今すぐ式場に来い」 『すまんがなキョン、俺にはそういう趣味は、』 「自分で呼べって言ってただろうが」 『もしかして今日が長門との結婚式だったのか』 「そうだ」 『バカ』 着ていくものがないとかタクシーが捕まらないとか祝儀に包む金がないとかタクシー代払えとか、到着するまでアホの谷口に散々悪態をつかれた俺だったが今日だけは黙って聞き逃しておいた。長門の晴れ姿を一目見せないと一生恨まれそうだからな。まあ忘れていた俺が悪い。 「呼ばれて飛び出ました谷口です!」 あまり歓迎されてもいないのにドアを勢いよく開けて飛び込んできた谷口は、目も覚めるような真っ白な衣装だった。 「おい谷口、誰が白のタキシードで来いつったよ。漫才でもやるつもりか」 「しょうがねえだろ、俺これしか持ってねえんだから」 お前はタキシードで通勤してんのか。どんなエンターテナーだ。 「ちょうどいいわ。谷口、あんたがその格好でベストマンをやんなさい」 「ベストマンってなんだ?」 「ベストメンの代表よ」 「おう、アイアムベストオブザベストマン。まっかせなさい」 俺もハルヒも国木田も、こいつはなにも分かってねえなという顔をしていた。新郎と一緒に並ぶのがベストメンで、その代表役がベストマンだ、覚えておけ。俺も今知った。 「涼宮、ブライドメイドは誰がやるんだ?」 「それは始まってからのお楽しみよ」 谷口は女性の声が聞こえてくる間仕切りの向こう側が気になるらしく、 「そ、その声は麗しの朝比奈さんではありませんか」 「勝手に覗くんじゃないっ、わよ」 ハルヒにヘッドロックをかけられてマイッタを叩いている谷口だった。 式開始三十分前に新川さんが登場した。ノリの効いたピシっと決まったモーニングコートで、髪型も眉毛も髭もネクタイもまったく非の打ち所がないミスターダンディが現れた。 「皆様おはようございます。おかげさまで本日は好天に恵まれまして、有希の挙式にお越しいただきありがとう存じます」 「こ、これは新川先生、長門……さんのお父さんだったんですか!」 「ふつつかながら叔父でございます。有希がいつもお世話になっております」 谷口の記憶じゃやっぱり先生らしく、やたらとペコペコしている。お前も見た目ばっかりかっこつけてないでこういう芯から渋い紳士を見習え。かっこいいってのはこういうのを言うんだ。 「新川先生かっこいいわ。メイクを入れるところがないわね」 「お褒めいただきありがとう存じます。そろそろ招待客のほうも揃い始めたようです」 「新川先生は女子ルームに入っていいわ。キョン、そろそろ出番よ」 「お、おう。行ってくるぜ」 助けてくれ膝が笑って立てない。 「さあキョン、しっかりしてくれよ」国木田に肩を借りた。 「おう、しっかりするぜ」 恥ずかしいことにこれから死刑執行される囚人みたいにして、国木田と谷口に支えられながら一階に下りた。俺が姿を見せると妹とその隣にいるのはたぶんミヨキチだと思うのだが拍手が沸いた。いや、今日の主役は長門だから拍手はそっちに取っといてくれ。 うちは親類と呼べる近縁のやつらが少ない。式に呼んだのは田舎の爺さんと婆さん、俺の名付け親である叔母とその家族だけだった。あとは会社の連中とかつてのクラスメイトが一部。長門の通う研究室の先生などなど。ENOZの四人にはオーケストラを頼んだ。最前列の親父とおふくろは借りてきた猫みたいに座ったまま固まっている。この後の披露宴で親族代表の長いスピーチをやらされることになっていて、もうそればっかりが頭にあるようだ。 俺は右の列のいちばん前の席に座った。ビデオカメラを手にした古泉が隣に寄ってきた。 「立派ですよ、その姿」 「お前が付き添いをやるとばかり思ってたんだがな」 「僕だけがおいしい役をもらうわけにもいきませんしね。みなで分け合わないと」 ハルヒと同じことを言ってるが、こいつの受け売りだったのか。 三人のブライドメイドが進み出た。朝比奈さんに鶴屋さんに喜緑さん、三人とも豪華なシルクのメイドスタイルのドレスを着ていた。そりゃまあ花嫁のメイドだからメイド服なのは分かるが、似合いすぎている。朝比奈さんと鶴屋さんは前にもメイド姿を拝ませてもらったことがあるが、喜緑さんがこのかっこうをするのを見るのははじめてだ。これはいい目の保養になった。鶴屋さんが親指を立ててウインクしてくれた。 白いバラを襟元に挿したベストメンは黒いカラスの中に一羽だけ白いのが混じっていてなんともこっけいな姿だったが、俺のためにやってくれているわけで笑っちゃ悪いよな。 「もう時間だが牧師さんか神父さんはまだ来ないのか」 「来てますよ、ほら」 黒い祭服を着た司祭様がブンブンと玉ぐしを振り回しながら演壇の向こうに歩いてきた。 「なんつーかっこしてんだハルヒ、いつからカソリックになったんだ、しかもそれ神式用だろ」 「これは無宗派の結婚式よ。とりあえず祈っとけばどれかの神様が祝福してくれるに違いないわ。鰯の頭も信心からというでしょ」 「そんなことわざ使ってバチ当たっても知らんぞ」 「黙りなさい」 ハルヒが演壇の前に立つと、さっきまで流れていたBGMがフェードアウトした。 「これより、神聖にして厳粛なる儀式を執り行います」 ハルヒの後ろのガラスから入ってくる光がまるで後光のように射しこんでいる。まあ祭服コスプレはこの場に似合わなくもないわけで、見えないジャンヌダルク並みの神通力でも宿ったのか客席はシンと静まり返った。 時計の針が三時を指すと同時に、両側の壁に据えてあるでかいスピーカーからパイプオルガンの音が流れてきた。ENOZの榎本さんのキーボード演奏らしい。俺も招待客も、全員が起立して後ろを振り返った。 席の後ろのほうがざわついた。階段ホールから新川さんに付き添われた長門が現れた。観衆はオオッとかホゥとか、それぞれ好きに感嘆の声を上げパチパチと写真を撮っている。撮影タイムが終わると二人は白い道の上を一歩踏み出した。 結婚行進曲が響き渡り、客が見守る中バージンロードの上をゆっくりと、一歩ずつ歩いてくる。照明の光の中にくっきりと浮かび上がったピュアホワイトのドレス。そりゃもう白を超える白というか、まぶしくて瞳孔を細くするだけじゃ足りずに何度も瞬きをした。 スポットライトが天井から二人を照らす。赤い口紅をさした長門の顔が少しだけ微笑んでいた。肩まで垂れたベールは頭の後ろでふわりと広がり、頭の上にハート型の小さなティアラがちょこんと乗っている。肩が露になったノースリーブで胸元には二重のフリルが縁取られていた。肌の上に雪の結晶をモチーフにしたネックレスをつけている。 腰まで滑らかにシルクの光沢が続き、腰から丸く広がるプリンセスラインのドレスだった。両腕は半透明な長いグローブに包まれ大きな白と緑のブーケが右手を隠している。 スカートの部分にはコサージュがぽちぽちとあつらえてあり、大きな巻きスカートのように片側でカーブを描いて止まっている。後ろの裾が長めに垂れていた。急遽付き添い娘に採用されたらしい国木田の娘がドレスの裾を持って後ろをついてくる。父親に似て目がぱっちりしていてかわいい。 古泉が小声で言った。 「今日の長門さんはひときわ美しいですね」 「ああ。極上の美しさだ」 「知っていますか、このワーグナーの結婚行進曲はオペラ『ローエングリン』で使われている曲なんです」 こんなときに豆知識を披露しなくてもいいって。古泉はクスクスと笑い、 「素性を隠した王子と娘が結ばれ、王子である正体が明かされてしまい破局に陥るという物語なんです」 「なにがおかしいんだ」 「誰かの境遇によく似ているとは思いませんか」 またそんなミステリーヲタクな話を持ち出しやがって、大昔のオペラの登場人物とひとつふたつ似てるところがあるからってどうってことないだろ。 「いえまあ、こんなときに持ち出すのもなんですが、ひとつだけお願いがあります」 「なんだ」 「今日を境に、ジョンスミスの名前を封印してください」 「久々だが顔が近いぞ、笑顔のまま深刻な話をするな」 「あなたは人生の伴侶として長門有希を選びました。ジョンスミスはひとりしか存在を許されません」 古泉に釘を刺されるのはこれがはじめてかもしれない。 そんなことはお前が心配しなくても俺自身の口から漏れることはないだろうよ。俺は自分の意思で鍵をこいつに渡しちまった。それを取り戻そうなんてことは思わんさ。 「よし、分かった。誓おう」 古泉は黙ってうなずき、花嫁の歩いてくるほうを目で示した。新川さんにエスコートされた長門が目の前に近づいてきた。 「がん、ばれ、よっ」 古泉が俺の肩をポンポンポンと叩いた。こいつ、はじめて俺にタメ口を利いたな。 新川さんが長門の右手を俺の左手に重ね、俺に向かってうなずいてみせた。二人でハルヒ扮する司祭様の前に立った。 すると、突然ハルヒが両手を上げて待ったをかけた。 「ちょ、ちょっとストーップ!そのまま待って!」お前が待ったしてどうする。 「なんだ、どうしたんだハルヒ」 「あれがない、聖書を忘れたわ」 「聖書なんかいらんだろ、無宗派なんだし」 「だめよ、ちゃんと信条にのっとってやんなきゃ」 さっきと言ってることが百七十九度くらい違う気がするんだが。 「……これ、使って」 長門が心得ているというふうに分厚い本を取り出した。って、どっから取り出したんですかそれハイペリオンですかそれ。そんなんで誓いを立てて大丈夫なのか、俺がトゲトゲの化けもんの生贄にされたりしないだろうな。などと突っ込もうとすると、長門の黒い瞳がお願いっという感じで俺を見つめたのでそれだけでもうなんというか反則というかなんでも許してしまえそうな勢いだった。いやまあ、その本が長門のバイブルだというんならそれはそれでいいさ。 ハルヒはまわりを見回して叫んだ。 「さあっ、気を取り直していくわよ」 ハルヒが座れという感じでゼスチャーをすると全員着席した。 「おほん。本日、ここにキョンと有希の婚姻の契りの場に立ち会うという機会を得たことを、神様に深く感謝するものであります」 どの神様か分からないが、厚手のSF小説にうやうやしく右手を置いてありがたい説教を始めるハルヒである。 「はるか昔、アダムとイブの結婚式はたった二人でした。地球上にたった二人っきりで愛の誓いを立てたのです。そのとき相手と結ばれる確率は百パーセントだったかもしれないけど、今では三十億分の一の確率です。いえもう三十五億分の一かもしれません」 人類創世の話がしたいのか人口増加の話がしたいのかよく分からんのだが。 「相手の候補が三十億もいるってことはよ、ボヤボヤしてると見失ってしまうかもしれないわ。昔の人は言いました。恋は気がつかないうちに訪れる。我々はただ、通り過ぎたその後姿を見るだけである」 ハルヒは一息ついて客を見回し、 「つまり、好きな人がいるならさっさと結婚しちゃいなさいってことよ。世界は広くて人生は短くて、迷ってたら幸せなんか手に入らないんだからね」 それが言いたかったのか。話にオチがついたところで皆は納得したようで笑い声が沸いた。恋愛なんて精神病の一種だと誰かが言ってたような気もしなくもないのだが、まあいいこと言ったんで許そう。 「では、誓いの言葉」 俺は長門と向き合い、両手を握って見つめあった。 「キョン、あなたは有希を、健やかなるときも病めるときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「は、ハイ。誓いマス」 声が裏声になっていたが後ろのほうまでちゃんと聞こえたか。 「有希、あなたはキョンを、元気なときも具合の悪いときも、優柔不断なときもグズグズして待たされるときも女心に鈍くてどうしようもないときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「……誓う」 「よろしい。では指輪の交換をしなさい」 長門は朝比奈さんから、俺は谷口から結婚指輪を受け取った。俺はその銀色に輝くリングをケースから取り出し、きっと酸素が足りなくて頭がぼけていたのだろう、自らの薬指にはめようとしていた。は、はまらねえ。 「……こっち」 長門が自分の手を差し出して促した。本番中にトチるなんてなにやってんだろね俺は。 長門の細い薬指にリングをはめてやると、ハルヒが、 「人類とこの宇宙のすべての存在から与えられた権限により、キョンと有希が夫婦であることをここに認めます。さあっ誓いのキスよ」 え、この衆人環視の前でやんのかよ、聞いてねえぞ。ふつうはここで音楽が鳴って拍手に包まれながら退場だろう。 「キョンなに躊躇してんのよ、さっさとやるの。皆さん、神聖なるキスシーンの撮影はご遠慮ください」 そうは言ったがハルヒはやおら古泉を指差し、 「古泉くん、ちゃんと撮ってる?」 こ、このバチ当たり神父が。 古泉のカメラのインジケータが赤く光ったままじっとこっちを見ていた。向き合ったままの長門はそのまま固まって俺を待っていた。しょうがない。これが生涯で二度目になるキスなのだが、俺は長門のあまりに真剣なまなざしに少し不安になり、チラと喜緑さんを見た。喜緑さんは微笑んでうなずいてくれた。 溜飲が下がる思いで俺は長門の肩を抱き寄せた。長門の左手が俺の腰を捉え、俺の右手はゆっくりと長門の左頬に触れた。その手で耳の後ろを支えて、目を閉じた長門の顔との距離が少しずつ狭まってゆく。乾いた唇を少しだけ濡らし、やわらかな、温かな、ぽってりと濡れた感触が唇の先に広がった。 視界がぼんやりと白い光に包まれてゆく。過去も未来も、そして現在までもがゆっくりと流れ、やがて音もなく止まった。 閉じた目を開けゆっくりと唇を離すとそこにはなにもなく、ただぼんやりとした白い風景だった。誰もいない、なにもない、無音。目の前にいるのは長門だけだった。 「ここは……どこだ?俺は夢でも見てるのか」 「……閉鎖空間。あなた自身の」 なんと、俺が作ってんのか。そういえば前にも来たことがあるような気がする。なぜか巫女衣装の朝比奈さんが思い浮かぶ。いや、長門の親父さんだったかな。異空間はハルヒの専売特許だとばかり思っていたが、それにしちゃハルヒのとは色も雰囲気もずいぶんと違うな。 「……そう。閉鎖空間は本人の精神世界を反映する。今のあなたの気持ちが、これ」 真っ白ってのが俺のどんな気持ちを表すのか、フロイト先生を聞きかじった程度の俺にはちょっと分からんが、でも、今どんな気持ちかと聞かれたらちゃんと答えられる。そう、今こそが本当に幸せそのものだ。 「俺がここにいるってことは、どうやってここから出るんだ?」 「……もう一度、キスして」 長門は目を閉じ、頭を反らして小さな唇をちょんと突き出した。俺は最初のときと同じに両手で暖かい頬を包み、長門の後ろ髪の感触を指先に感じながら唇を近づけた。 ── 今まで、ちゃんと言えなくてごめんな。大好きだ…… やがて人の声、拍手と指笛、まぶしい光、足音、花の香り、長門の化粧の匂いが一気に戻ってきた。目を開けると頬を染めた長門がじっと俺を見つめていた。 次の瞬間、聞き覚えのあるもうひとつの結婚行進曲が鳴り響いた。メンデルスゾーンだっけな。 そのまま長門の手を引いてゆっくりとバージンロードを歩いた。招待客がバラの花びらを二人の上に放り投げ、派手なフラワーシャワーを浴びた。いやあなんというか、こういう演出は嬉しいね。 そういえばこの後の予定を聞いてなかった。古泉にこの後どうするんだという視線を送った。 「車を用意していますので、そのまま披露宴の会場に行ってください」 拍手の合間を古泉が大声で答えてきた。この会場誰が片付けるんだろうと不安になったのだが、まあ後のことはこいつらに任せておこう。 正面玄関まで来たところでなにか大事なことを忘れているような気がして、俺は振り返ってみんなを呼んだ。 「あそうだ、皆さん、ブーケトスをやりますよ」 「待ちなさい、ちょーっと待ちなさいキョン、あたしが行くまで投げちゃだめよ。ほらほらみくるちゃんも走って」 言うが早いかハルヒ神父を先頭に、ブライドメイドの三人や、赤やピンクやパープルで着飾った女性陣がスカートを捲り上げて殺到した。独身女性がこんなにいたのか、こりゃあ争奪戦になるぞ。 長門が俺の耳元でボソボソ話した。 「……ブーケトスってなに」 「後ろを向いてその花を投げればいいんだ。まあアミダくじみたいなもんだな」 「……ひとつしかない」 「取り合いになったら困るから少し増やしてくれ」 「……分かった」 長門が後ろを向いてふわりとブーケを投げた。全員がその行方を見つめる中、まるで計算されたかのような緩やかな放物線を描いた。小さな花束は空中でポンと分裂し、いくつものブーケになって舞い降りた。突然増殖したブーケに慌てた女どもはどれを捕まえればいいのか右往左往していたが、たぶん全員分はあるだろう。なに喜んでるんだ谷口、お前は男だろうが。 玄関を出ると黒塗りの個人タクシーが止まっていた。なんとなく見覚えはあるのだが後部シートがやたら長くて普通車の二台か三台分はある。ってこれリムジンとかいうやつじゃ。モーニングのままの新川さんが運転席のドアを開けて出てきた。 「お二人様、ご成婚おめでとうございます」 「……ありがとう」 「どうも新川さ、お義父さん。運転手までさせてしまってすいません」 「いえいえ、わたくしはこれが本業でございますゆえ」 新川さんがドアを開けて長門が乗り込むのを手伝った。スカートの重なったレースがふわふわと膨らんで花嫁が埋もれている。中に入るとほのかにライトがともり、テーブルの脇にはシャンペンとグラスが用意してあった。 ゆったりサイズのL型シートには軽く六人は座れそうなのだが、俺と長門は隅っこに身を寄せ合って座った。ふわふわの布張りの床、壁には液晶テレビと電話、サイドテーブルにはワインクーラーと冷蔵庫、乗るのも見るのもはじめてだがこいつは豪華だ。 「長門、シャンペン飲むか」 「……うん」 俺は冷えきった瓶の栓をポンと抜いてしゅわしゅわとグラスに注いだ。二人のグラスを合わせるとチリンと軽い音がした。 新川さんの演出らしく車内に洋楽ラブソングが流れはじめた。壁のインターホンが鳴った。 「披露宴までまだ時間がありますから、少しドライブに出ましょう。到着までゆったりとおくつろぎください」 おくつろぎくださいと申されましても、もうこの車のゴーシャスな内装に圧倒されて正座なんかしている俺なのでありますが。とりあえず新郎らしく長門の肩を引き寄せてみたりした。長門も首を傾けて俺の肩にもたれている。 車が走り出すと、突然後ろのほうでやかましい金属音が鳴り響き驚いて振り向いた。ああ、あれだ。空き缶のガラガラだ。今どきこんな派手なガラガラを引く新婚カップルもいないと思うが、でかい音を出して悪魔を追い払う魔除けなんだとか昔はひも靴を引っ張っていたんだとか、どれがほんとなのかは知らん由緒曖昧な古の習慣らしい。 道行く人がなにごとかとこっちを見て、空き缶を見て指差して微笑んでいる。若いあんちゃんが親指を立てているのを見て、俺たち結婚したんだぜと急に自慢したくなってきた。このまま突っ走って世界中を駆け巡ってみたい気分だ。 七章へ
https://w.atwiki.jp/post_map/pages/2133.html
(山口県)長門(俵山)郵便局 郵便番号:〒759-42 集配地域:山口県長門(ながと)市の旧・大津(おおつ)郡俵山(たわらやま)村域。 1.jpg 俵山郵便局局舎 2.jpg 俵山郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1167.html
……… 眠れない…。 これで何度目になるだろう、静寂のなか薄暗い部屋で、彼が眠っていた布団に包まれ、目を閉じる……。 しかし、瞼の裏には記憶が映しだされ、彼の顔が画面いっぱいに広がる。 なぜだろう?気が付くと、彼のことばっかり考えている。 これはエラーなのだろうか? なぜこんなにも私の睡眠機能を妨害されるのだろう。 そんなことを考えていると、いつのまにか眠ってしまったようだ。 「ふふふ。長門さん、好きなんでしょ、彼のこと」 好き…?たぶん違うと思う……。 「そう、まあそのうち分かるわよ。自分の気持ちに…」 朝。太陽の光がカーテンの無い窓からさしこんできて目を覚ます。 今日は、不思議探索の日ということで軽く朝食をとり、家を出る。 着替える必要はない、いつもの制服で十分だ。 でも、私服で行ったら彼が喜ぶかな……。 いけない、またエラーだ。 集合時間15分前、いつもの駅前に到着する。 彼はまだのようだ。 「おはよう有希!」 「お、おはようございまぁ~す」 「おはようございます、長門さん」 三人ともあいさつをしてきた…。 私は軽く会釈をする。 しばらく待っていると、彼がやってきた。 「遅い!罰き…」 「はいはい、分かったから」 彼はもうあきらめがついているようだ。 そうして、いつもの喫茶店に入る。 私は、注文した飲み物を飲みながら、彼といっしょになればいいなと毎回考えていた。 そして、涼宮ハルヒのクジを引く、私は無印だ。 彼は…、私と同じ無印だった。うれしい。 他の人は、古泉一樹が印入り、涼宮ハルヒが印入り、そして朝比奈みくるが無印だった。 (あら、残念ね。二人きりじゃなくて…クスクス) 別に残念とは思っていない。 こうして、彼と朝比奈みくると私で不思議を探すことになった……。 とはいっても、探す気なんかないことはみんな同じだろう。 「いい!デートじゃないのよ!鼻の下のばしてんじゃないわよ!!」 そう言って彼女は歩いていった。古泉一樹がやけにニヤニヤしているのはなぜだろう? 「朝比奈さんはどこか行きたいところありますか?」 彼は彼女にきく。 「いえ、特には…」 「そうですか、長門はどうだ?」 彼がたずねてくる。図書館と言いたいが、今は朝比奈みくるもいるのでやめておく。 「……ない」 私は彼の顔を見ずにこたえた。 「…そうか」 彼は少し困った様子で、 「じゃあそこらへんをブラブラしてますか」 「はい」 そんなやりとりが交わされて、私は彼の後ろについて歩いている。 彼は、朝比奈みくると会話を楽しんでいる……羨ましい。 私も情報伝達能力がもっと高ければ―――。そんなことを考えていると、いきなり話がふられた。 「長門も鶴屋さんの小説おもしろかったよな?」 「…………」 私はこたえることもできず、ただうなずくことしかできなかった。 (ふふっ、手でもつないでみれば?) そんなことはしない。 (恥ずかしがることないのよ。早くしないと涼宮ハルヒにとられちゃうわよ) …………。 そんなことをしているうちに、集合する時間がやってきた。 駅前につくと、もう涼宮ハルヒと古泉一樹が待っていた。 「ふん!じゃあクジ引きするわよ」 彼女はイライラしているようだ。 みんながクジを引く、私は印入りだ。 彼は…印入り。今日は運がいいらしい、彼は私を見ると微笑んでくれた…。頬が熱くなるのを感じる。 あとの三人は無印だった。 みんなと別れる。行くところは決まっているも同然で、彼がたずねてきたときは、 「図書館」 と即答した。 私は彼の後ろについて歩いている。 会話はしないけれど、二人で歩いているだけで幸せな感じだった。 (たまには、図書館じゃなくて映画館とかもつれてってもらえば?) …………。 (せっかくの二人きりになれたのよ。それにこれはデートと変わらないわよ) …………。 (涼宮ハルヒのことなんて気にしないで、ホテルでも行っちゃえばいいのに) うるさい。 お互い無言のまま、今では行き慣れた図書館についた。 人影も少なく、冷房のきいた閑静な室内に足を踏み入れる。 私はこの空間がとても好きだった。 私は、本を手にとりその場で立ち読みをする。その間、彼はだいたいは眠っている。 (ねえ、彼の近くで読んでみたら?肩によりそったりして) ………///。 本を読んでいるとすぐに時間がすぎる…。 彼が、私に帰ろうと言ってきた。私は彼の肩から頭をどかし、図書カードで本を借りた。 私は図書館で借りた一冊の本をもって彼と並んで歩く。なんだか楽しい。 いきなり彼がこっちを向く。どうしたのだろう?と思っていたら、無意識に手を握っていたようだ。 (やればできるじゃない、ふふふふっ) 「長門どうしたんだ?」 別に…。 「おい、ハルヒに見つかったらまたうるさく言われるぞ」 …いい。 「…やれやれ」 私は不安になり、彼にたずねる。 「…嫌?」 「そっ、そんなことないぞ、うん。どっちかっていうとうれしい」 「…そう」 私は彼の言葉を聞いて、安堵した。 できることなら彼とずっと一緒に……。 そんなことを思いながら私は、握る力を少しだけ強くしていた…。